「宇宙飛行士になりたいです!」
「この学校に入って何を学びたいですか?」という高校の入学面接の質問に僕はカッコよく爽やかにそう答えました。
なんてアホっぽい回答でしょうか。
高校の面接ごときで、でかく出たもんです。
そもそも質問と答えが合ってません。
まあ合格したから良いんですけどね…
でも僕はそんな「宇宙大好きっ子」を装っておきながら、全く宇宙の映画に興味ないんです。
「宇宙の謎」みたいなことには多少興味あるんですが、どうも映画になると、むしろ観る気が起きなくなるんです。
映像がどれも似通ってて飽きてるのかもしれません。
まあ毎回観たら観たでけっこう楽しめるんですけどね…
なので本作『ファースト・マン』も実は全く観る気が起きなかったんです。
しかも月を初めて歩いたやつの実話なんて全然魅力を感じません。
知りたくもねー。
でも監督はデイミアン・チャゼル…
んー、一応観ておくべきだよな…
そこまで好きでもないけどあの若さでこの活躍っぷりは凄いしなあ…
ということで「なんとお前が大好きなIMAX上映あるんだよ?しかもライアン・ゴズリングが主演なんだよ?ね?面白いよ?ね?」と自分に無理矢理暗示をかけ観てきました。
我ながら頑張りました。
簡単に感想書きたいと思いまーす。
『ファースト・マン』とは???(まだネタバレなし)
作品データ
原題 First Man
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 141分
映倫区分 Gスタッフ
監督
デイミアン・チャゼル
製作
ウィク・ゴッドフリー
マーティ・ボーウェン
アイザック・クラウスナー
デイミアン・チャゼル
製作総指揮
スティーブン・スピルバーグ
アダム・メリムズ
ジョシュ・シンガー
原作
ジェームズ・R・ハンセン
脚本
ジョシュ・シンガー
撮影
リヌス・サンドグレン
美術
ネイサン・クロウリー
衣装
メアリー・ゾフレス
編集
ベン・クロス
音楽
ジャスティン・ハーウィッツキャスト
ライアン・ゴズリング / ニール・アームストロング
クレア・フォイ / ジャネット・アームストロング
ジェイソン・クラーク / エド・ホワイト
カイル・チャンドラー / ディーク・スレイトン
コリー・ストール / バズ・オルドリン
キアラン・ハインズ / ボブ・ギルルース
パトリック・フュジット / エリオット・シー
ルーカス・ハース / マイク・コリンズ
NASAですら。
宇宙船が「スパム缶」とまで呼ばれていたそうですから。
そんな心許ない「スパム缶」に乗って、何があるか分からない未知の世界「宇宙」そして「月」を人類というか主にアメリカ、ソ連は目指したんですね。
もうそんなの僕が裸で女風呂に突入するようなもんです。
危険すぎます。結局ニール・アームストロングたちが1969年にアポロ計画を達成させるわけですが、その裏には過酷な訓練、仲間の宇宙飛行士との絆や事故による突然の別れ、そして地上で彼らをただ待つしかない家族の葛藤などがあるわけです。
そんな知られざる人類初の偉業までの舞台裏を、ドキュメンターテイストで撮影された地上シーンと、宇宙飛行士の視点を中心にした迫力ある宇宙飛行シーンで描いています。
撮影もこだわっていて、地上の家族のシーンなどは当時の荒い映像を意識して16ミリカメラ。
訓練シーンは合成が必要なので35ミリカメラ。
そして宇宙のシーンはその広大で澄み切った宇宙を再現するためにIMAX65ミリカメラと3種類のフォーマットを使い分けて撮影したそうです。
監督/キャスト
みなさんご存知、『セッション』(2014)、『ラ・ラ・ランド』(2016)で評価、興行ともに大成功した監督です。
あまり際立った作家性みたいなのを感じる作風ではないんですが、どちらの作品もエンターテイメントとしてすごい楽しめたし、年齢、キャリアからすると信じられないくらいうまいと思います。
『ラ・ラ・ランド』は最初の高速道路のシーンをピークに下がっていくかと思ったんですけど、最高の終わり方で巻き返してました。
とても複雑な気持ちにさせる良いラストシーンでした。
『ファースト・マン』では製作にこそ関われど、脚本には参加していないみたいですから。
監督デイミアン・チャゼルとは『ラ・ラ・ランド』に続いて2度目にタッグです。
僕の中でライアン・ゴズリングと言えば、何考えているか分からない、いきなり刃を振りかざす男なわけです。
完全に『ブルー・バレンタイン』(2010)や『ドライヴ』(2011)、『オンリー・ゴッド』(2013)のせいですが。
でもその感じが寡黙だったというニール・アームストロングには合ってたんでしょう。そしてその妻ジャネット・アームストロング役にはクレア・フォイ。
まだまだ世界的に有名なのかは分かりませんが、デヴィッド・フィンチャーの『ドラゴン・タトゥーの女』(2011)の続編『蜘蛛の巣を払う女』(2018)で前作のルーニー・マーラに代わって主役のリスベット役に抜擢されています。
あんまり良くなかったですけどね。
なぜなら健全そうな人だから。
ちょっと尖ってるリスベット役には向いてなかったですが、今作は普通のアメリカ人女性役です。
リスベット役をついこの前観たばかりなので、そのギャップに期待してます。
ニールを支えるパイロット兼技術者のドナルド・スレイトン役にカイル・チャンドラー。
二人とも何に出てたかはすぐ思い出せないけど、「あー何か出てたなあ」と必ず思うはずの印象に残る濃い顔の俳優さんです。
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『ファースト・マン』のあらすじ
この映画はあらすじが難しいので今回は公式ホームページから引用!
知らなくても楽しめますが、読んじゃってもネタバレという感じはないと思います。
史実ですからね。
1961年 愛する娘との別れ
空軍でテストパイロットを務めるニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は、仕事に集中できずにいた。まだ幼い娘のカレンが、重い病と闘っているのだ。妻のジャネット(クレア・フォイ)と懸命に看病するが、ニールの願いもかなわずカレンは逝ってしまう。いつも感情を表に出さないニールは妻の前でも涙一つ見せなかったが、一人になるとこらえ切れずむせび泣く。悲しみから逃れるように、ニールはNASAのジェミニ計画の宇宙飛行士に応募する。1962年 人類の長年の夢、月旅行へ
NASAに選ばれたニールは、妻と長男を連れてヒューストンへ引っ越し、有人宇宙センターでの訓練と講義を受ける。世界の宇宙計画ではソ連が圧勝していたが、そのソ連もまだ到達していない“月”を目指すと指揮官のディーク・スレイトン(カイル・チャンドラー)は宣言する。月への旅に耐えられる宇宙船は重すぎて、たとえ到着しても月から打ち上げられない。飛行士は母船から小型船に移り着陸、任務終了後に母船とドッキングして地球へと帰る。2機のドッキングができると実証するのがジェミニ計画、成功したら月面に着陸するアポロ計画へと移行することが決まる。1964~65年 訓練&訓練&訓練……
宇宙空間で活動するための想像を絶するハードな訓練を共にし、飛行士たちは絆を結んでいく。ニールが最初に心を開いたのは、軍人ばかりの飛行士のなかで互いに民間人だったエリオット・シー(パトリック・フュジット)だ。向かいに暮らすエド・ホワイト(ジェイソン・クラーク)とは、家族ぐるみで親しくなった。ある夜、エドの家に集まった時、テレビからソ連が人類初の船外活動に成功したというニュースが流れる。それはエドがもうすぐ成し遂げるはずのミッションで、またしてもソ連に先を越されてしまった。1966年 死を覗き見たドッキング
ディークから、ジェミニ8号の船長として史上初のドッキングを命じられるニール。その任務から外されたエリオットが、訓練機の墜落事故で命を落とす。友の無念を胸に、デイヴ・スコット(クリストファー・アボット)と2人、ジェミニ8号で飛び立ったニールは、アジェナ目標機とのドッキングに成功するが、ジェミニの回転が止まらなくなる。非常事態に家族への通信も切られ、血相を変えたジャネットがNASAへと駆け付けるが、何とかニールの冷静な判断で危機を脱出、アジェナを切り離して帰還する。その結果、NASAはメディアに人命を危険にさらし、莫大な費用を無駄にしていると書き立てられる。
だが、調査委員会はニールの功績を認めてアポロ計画へと移行、パイロットにエドが選ばれる。名誉ある任務に就いたエドを、ニールとデイヴは心から祝福するのだった。1967年 アポロ計画最大の悲劇 エドと2人の乗組員が、アポロの内部電源テストを行っていた時、ニールはホワイトハウスのパーティーに出席していた。政治家と話が合わず手持ち無沙汰の彼に、ディークから電話が入る。それは、アポロ内部で火災が発生し、3人全員が死亡したという知らせだった──。
1969年 “未知”へのカウントダウン 莫大な税金をかけて犠牲ばかりだと、アポロ計画は世間から非難を浴びる。逆風のなか、月に着陸する11号の船長にニールが任命される。乗組員は、バズ・オルドリン(コリー・ストール)とマイク・コリンズ(ルーカス・ハース)の2人だ。
出発の日、ジャネットは息子たちに黙って行こうとするニールに、「帰れない場合の心構えをさせて」と訴える。無邪気に笑う次男の横で、長男は父に「戻ってこれる?」と尋ねるのだった──。
家族と別れ、宇宙服に身を包み、3人は遂に“未知”へと旅立つ──。
映画『ファースト・マン』を観る
『ファースト・マン』の解説&感想(ここからネタバレあり)
まずはうんこ度(このサイトではどのくらいつまらなかったかで評価してます。最低評価=10点)
3.5/10 デイミアン・チャゼルは宇宙になど興味ないなと思わせてくれた映画
これ実は褒め言葉なんです。
デイミアン・チャゼルの前2作のように「エンターテイメントとして」楽しめたかといえば全然楽しめませんでした。
この映画のそのキモとなるのは宣伝通り宇宙飛行シーンだと思うんですが、そこについてはまあ期待はずれでしたよ。
最初から期待はしていなかったですが…
世間でもデイミアン・チャゼルの前2作と違って、かなり評価は割れているみたいですね。
『ファースト・マン』の宇宙パートについて
なんですかね、元々僕が眠かったのもあるのかもしれませんが、IMAXなのにというか、IMAXだからか宇宙のシーンが全然すごくないんですよ。
この映画の宇宙のシーンてニールになりきっての体感、没入感を重視してるから、ライアン・ゴズリングの超どアップとライアン・ゴズリングから見えている視点で構成されてるんです。ほぼ。
それがIMAXのくそでかい画面一面に広がってるから、迫力はあるんだけど、そもそも何やってるかあんまり分からない。
音響も迫力あってすごいんです。
宇宙での危ないところとかではずっとごおおおおおおおおおおおて鳴っててなんか怖いんです。
でも何やってるかはイマイチよく分からない。
体感だからほぼずっと画面揺れてる印象だし、宇宙服、宇宙船通して観る宇宙だから透明度70%な感じなんですよ。
宇宙という未知の世界の話だから、何起きてるかはよく分からなくてもいいんだ、その恐怖が大事なんだってことなんでしょうけど、まあいずれにせよ僕には宇宙を体感なんて出来ませんでしたよ。
宇宙のシーン撮ったIMAX65mmてカメラは多分ARRI社のものだと思いますけど、スクリーンサイズ的には有効でも画質的にはザッラザラでしたし意味あったのかなあなんて思ったり。
これは僕が観たとしまえんのIMAXのせいなのか何なのか。
観たことない宇宙の映像体験という点では、まあそもそも目指しているところが違うんで比べるのはナンセンスですが『ゼロ・グラビティ』(2013)の圧勝だなあと。
この前Netflix配信映画『ROMA』を観たので、アルフォンソ・キュアロン復習で『ゼロ・グラビティ』を家で見直したのですがやっぱり「宇宙」ということだけで言えばあの映画はすごかったなと。
そんなに中身はなかったですが。
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ニールが見つめているもの
ということでけっこう最後の方まで僕はこの映画を楽しめていなかったんですが、ようやくラストの方で少し観方が変わってきました。
そこからは「あ、実はこの映画そこそこ面白いかも」と思い始めました。
あくまで僕の解釈ですが、この映画のライアン・ゴズリング演じるニールは「死」しか見えてないんですよ。
これは死にたいといった意味ではなく、「死」というものに引っ張られ目の前の物ではなくどこか遠いところばかり見ているイメージです。
もちろん大切な仲間の宇宙飛行士であるエドたちが命を落としたのもでかいんですが、やはり「娘の死」という人生最大の悲しみに引っ張られ地上に生き場所を見いだせない男の話としか思えないんです。
映画中、ニールには数々の困難が訪れます。
けっこう上手く飛行機乗ったのに怒られるわ、今では意味がないとしてやられてないグルングルン回る訓練やらされるわ、友情育んだ仲間が飛び立つまでもなく命落とすわ、その余波で国民からブーイング食らうわ、月に飛び立つ前日なのに妻には激怒されるわ、さんざんです。
でも何が起きても彼はその表情を崩すことはないし、ほとんど乱れません。
なぜなら彼は「宇宙」という「自分が今行ける、娘に一番近づけるであろう場所」しか見てないから。
自分の目の前で数々の困難が起きていても、大切な残された家族がいても彼の目にはもはや映っていません。
だからこそどんな困難があってもアポロ計画に参加するんです。
そう考えるとニールがこの映画内で最大に乱れるところ、「娘が亡くなった時に見せた独りきりで号泣するシーン」が余計に切なくなります。
この映画では『ファースト・マン』とタイトルにあるように、多くの犠牲者や莫大な資金(アメリカ国民の税金)を使って人類最初の偉業を成し遂げることに何の意味があったのかを問うてきます。
僕もこのことについては、劇中黒人が歌っているシーンあたりでけっこう考え始めたんですよ。
そもそも人類って宇宙行く必要あんの?と。
アメリカ、ソ連の国同士のどうでもいい見栄の張り合いや、人類の発展のためとか色々理由はありますけど、正直行かなくても僕らは生きていけるわけだし、何も困りません。
むしろこれ以上科学技術が発展しない方が人類、地球にとっては幸せかもしれません。
宇宙に行く理由は「知りたいから」という人間の根本にある知的好奇心が一番納得がいく理由な気がします。
とまあ、映画を観ながら途中でこんなことも考えていたのですが、もはやそんなことはどうでも良かったんです。
ニールはそんなことどうでもいいんですから。
人類最初の男になりたい、歴史に残る人間になりたいなんて欲は少なくともこの映画のニールにはないんです。
と同時に感想の最初に記した通り、デイミアン・チャゼルもそんなことどうでも良かったんですよ。
デイミアン・チャゼルはこの映画に「これまでにない宇宙体験映画」という表向きのお面を被せましたが、本当は全く別の病的なほど何かに取り憑かれてしまった男の切ない姿を描いたんではないかと思ったのです。
月に着いたあたりでようやく思ったんですが、そう思えた瞬間、この映画が良い映画に見えてきたんですね。
だって月に行ってからやたらあっさりしてるんですよ。
すぐ帰ってきます。
もう月なんてどうでも良かったようにしか思えません。
そしてあのラストシーン。
病気などを月から持ち込んだ可能性があるので一応隔離されているニールと妻ジャネットがガラス越しに再会します。
もうこのシーンが素晴らしかった。
このシーンは普通で言えば、「危険から無事帰還した1人の人間と、それを信じて待ち続けた家族の感動の対面」と解釈するんでしょうけど、僕には全くそうは見えませんでした。
だってまず視覚的に2人は触れ合うことすらできずに終わるんですから。
手と手を合わせようとしてもそれが不可能な夫と妻。
月で娘の遺品に別れを告げ地球に帰還したニールでしたが、もはや時既に遅し。
彼は地球に居場所なんてないように思えてなりません。
もう昔のような幸せな、ジャネットがエドの妻に言う「普通の暮らし」なんて叶わないんじゃないかと。
戻りたくても戻れないそんなやりきれない悲しさ、切なさを感じさせる絶妙なラストシーンでしたよ。
『ラ・ラ・ランド』に通じるところがありましたね。
”「死」しか見えていない男”と”それを待つ家族”と”「人類最初に月に着陸するんだ」と頑張るNASA”の3つの物語が交差してるようで、その実根幹ではまったく交わらず並行して描かれていた映画でしたね。
終わりに
この記事のタイトルに書いたようにこの映画は『ファースト・マン』ではなく『ロスト・マン』が最適だと思いました。
どうしようもない喪失感から月にまで行ってしまった男。
しかもそれが人類最初という。
そしてお互いがお互いを思っているのに1つになれない家族。
なんと素晴らしい映画でしょうか。
ハッキリ言って宇宙飛行シーンは長くて苦痛だったので、それだけの映画じゃなくて本当に良かったです。
あ、ニールとジャネットは晩年離婚してるんですよね。
何が原因かわからないですけど、この頃からやっぱり修復できない何かがあったように思えてならないですね。
完