映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレ感想&解説
©2019 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
スポンサーリンク

©2019 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.

2019年製作/161分/PG12/
アメリカ
原題:Once Upon a Time… in Hollywood

配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

監督
クエンティン・タランティーノ
脚本
クエンティン・タランティーノ
撮影
ロバート・リチャードソン

キャスト
リック・ダルトン / レオナルド・ディカプリオ
クリフ・ブース / ブラッド・ピット
シャロン・テート / マーゴット・ロビー
ジェイ・シブリング / エミール・ハーシュ
プッシーキャット / マーガレット・クアリー
ジェームズ・ステイシー / ティモシー・オリファント
トルーディ / ジュリア・バターズ
テックス / オースティン・バトラー
スクィーキー・フロム / ダコタ・ファニング
ジョージ・スパーン / ブルース・ダーン
ブルース・リー / マイク・モー
ウェイン・モウンダー / ルーク・ペリー
スティーブ・マックィーン / ダミアン・ルイス
マーヴィン・シュワーズ / アル・パチーノ
ランディ / カート・ラッセル
ジャネット / ゾーイ・ベル
ハケット保安官 / マイケル・マドセン

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
2.0/10うんこ(10うんこ=クソ映画)
犬に餌を与える時間が長すぎる映画

1996年。

ジャッキー・チェンが好きすぎて、隙あらばテレビ録画したVHSを観ていた小学生のあの頃。
人生で一番冴えていたと言っても過言ではない当時の僕の頭はジャッキー・チェン一色だった。
当然お金などなかったが、背伸びして映画雑誌『SCREEN』を買いちょっと大人になったような優越感に浸ったものだ。
今でもあの独特な雑誌の香りを覚えている。
ところがいざ『SCREEN』を開いた瞬間、世界の中心がジャッキー・チェンだと思いこんでいた無垢な少年の心はズタズタになるのだった。

「ジャッキー・チェン少なっ…」

少年は現実というものを知った。
この時もはやジャッキー・チェンは世界の中心ではなかったのだ。
代わりに世界を牛耳っていたのは2人の優男だった。

「こんな弱そうなやつらのどこがいいんだ…みんな何も分かってない」

分かってないのは僕だったわけだが、スピーディーに悪をなぎ倒すことこそ男のすべてと思っていた僕に彼らの良さなんて分かるはずもなく、ただただ世界の覇権を奪った彼らに恨みを募らせた。

それがレオナルド・ディカプリオブラッド・ピット

今もなお第一線で活躍し続ける2人だが、当時はアイドル俳優といった感じでその人気は凄まじく、表紙もブラッド・ピットだったし中身もほぼほぼ彼らだった印象だ。(そんなわけないのだが)

その後、歳を重ねるごとに2人の主演作を見る機会も増え「なんだ、良い奴じゃん」などと上から目線でその魅力を知っていき、すっかり好きになっていた。

そして時は経ち、ややおじさんになってきた僕に衝撃のニュースが飛び込んできた。

”レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットがW主演の映画が公開!!”

……

なんということだ

僕の大好きなジャッキー・チェンを隅に追いやり、世の女性をブイブイいわせていた伝説のクソ野郎2人が共演するなんて…

しかもW主演。

しかも監督は映画オタクの総帥クエンティン・タランティーノ。

なんと恐ろしい組み合わせ。
まあタランティーノだから実現した組み合わせでもあるのだろう。

子供の頃のスターというのは大人になってからよりずっと印象深いものだ。
なんだかんだ言ってディカプリオとブラピは僕にとって伝説なのである。
そんなレジェンド2人が共演する時が来るなんて…

そして映画のタイトルが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。

最高だ

セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)をパロったであろうタランティーノっぽいすばらしいオタクタイトル。
また題材があのシャロン・テート事件。
実際の殺人事件調査マニアにはたまらない​題材である。

物語はシャロン・テート事件が起こる少し前の1969年のハリウッド。
モデルはいるようだが架空の俳優リック・ダルトン(ディカプリオ)とその専属スタントマン、クリフ(ブラピ)が遭遇するある恐ろしい出来事までの数ヶ月といった感じ。
我ながら全然分からないが、まあ話なんてあってないようなものだ。

やっぱりもうちょっと言うと、昔は西部劇スターだったが変化するハリウッドに取り残されつつあるリック・ダルトンとクリフ、そしてシャロン・テート(マーゴット・ロビー)を通してもう一度、時代の転換点にあったハリウッドを見つめ直す、むかーしむかし=once upon a timeの話である。
史実に虚構を織り交ぜたフィクションとでも言うのか。

まあほんとにあらすじなんてどうでもいい映画である。

結末

たぶんタランティーノ作品よく観ている人、特に『イングロリアス・バスターズ』観たことある人は、遅くともクリフがマンソン・ファミリーと接触した時点でこの結末は予想しただろう。
僕も余計な情報を入れずに観たが、シャロン・テートが出てきてタランティーノが監督という時点でそうなるのかなあて予想していたら、案の定だった。
こんなに序盤からの予想通りに映画が終息してしまうと

「やっぱ馬鹿だなあ、タランティーノ」

「思いついてもやるかねえ、普通」

とか思いつつ歓喜し、泣きそうになる。

まあ正確にはタランティーノじゃないと、思いついてもやれない。
こんな企画、普通金がおりないから。

僕は実際の殺人事件調べるのが好きだし、ロマン・ポランスキー作品もそこそこ観ているのでシャロン・テート事件は元々けっこう詳しかった。
実際の酷い写真も出回ってるし、とにかく後世を生きている僕にとってもショッキングな事件だ。
僕はアメリカ人じゃないし、その当時を生きてもいないから詳しくはわからないけど、シャロン・テート事件はハリウッドないしアメリカの重要な歴史的転換点だったのだ。

この事件を期に愛、平和、自由を掲げたカウンターカルチャーであるヒッピー文化は衰退。
事件の首謀者チャールズ・マンソンがヒッピーの象徴のように扱われてしまったから当然のことである。
ハリウッドつまり映画界もそれまでのお気楽で華やかなまさに「夢」のような時代に別れを告げ、厳しい現実とそれに抗う若者、そして挫折が描かれたアメリカン・ニューシネマが本格的に台頭していったらしい。
夫であるロマン・ポランスキーもその後の作品は血だらけ映画『マクベス』や悲劇的なヒロインが印象的な『チャイナ・タウン』を撮っている。
まあシャロン・テートが生きていた時も『ローズマリーの赤ちゃん』なんてヒロインが悲惨すぎる映画撮ってるから、そもそもそういう気質はあったのだろうが。

でもそんな重要な事件の被害者であるシャロン・テートのことを、僕含め多くの人間がチャールズ・マンソンに惨殺された悲劇の女優、ロマン・ポランスキー監督の殺された奥さんとしてしか認識していない。
彼女には確かに今日誰しもが思い浮かべる代表作なんて多分ない。
でもシャロン・テートは短いながらも華やかで夢のような最期のハリウッドで映画女優として夢を見て、そして一人の女性としても人生を謳歌していたはずだ。
タランティーノはそんな衰退し夢から覚めようとしていたむか~しむかしの甘くて輝かしい時代、ハリウッドをシャロン・テートに象徴させたのであろう。
と同時にシャロン・テートをそんな記号としてだけ位置づけることはせず、瑞々しく生きる一人の女性として描いている
これが素晴らしいのだ。
シャロン・テートとは何よりもまず、1人の人間なのだから。

この映画は史実をアホみたいな方法でひっくり返しシャロン・テートを救うことで、1963年生まれであるタランティーノが幼いながらも覚えている古き良き時代、夢のようなハリウッド、そして未来ある女性を守ろうとした映画なのだ。

でもタランティーノは決して現実世界がこうであれば良かったのにという、「もし」や「たられば」願望でこの映画を作ったんではないはず。
なぜならこのシャロン・テート事件があったからこそ生まれた大好きな名作もたくさんあるはずだから。
映画ドオタクのタランティーノはこの現実も肯定して受け入れているはず。
そんな無意味な考えではなく、むか~しむかしのあの華やかな映画業界、そして時代の不幸を全て背負わされた一人の映画人、女性としてのシャロン・テートをなんとか映画の力で救ってあげたかった、そんな未来が映画の中だけでもあっていいんじゃないか、そんな気持ちだったのだろう。

というかむしろこれって映画にしかできないことなのだ。

タランティーノのことだからそんな優しい気持ちではなく、もっとおごり高ぶった「俺様が救ってやる」くらいの気持ちかもしれないが、映画の力を信じていることには変わりない。

だからすごい

ほんとに素晴らしい

こんな単純で馬鹿らしいことを考えつくのも、出来ると映画の力を信じ抜けることも、なにより実現できる豪腕が素晴らしい

世界最強のオタクだ

再び映画が世界を救ったぞ!と歓喜する映画なのだ

最高である。

その問題のラスト20分くらい、笑いが止まらなかった。

そしてそれと同時に泣きそうにもなるという、情緒不安定ハンパない感じになってしまった。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は映画の存在意義の正解をまた一つ示してくれた良作だと思う。

救い方

この映画は僕が最も期待していたものを、方向性はそのままに描写自体は想像を超えてくれた稀有な映画だ。
それは何かというとシャロン・テートの救い方だ。

コンプライアンスやら#metooやら暴力描写やら、もはや何もできないんじゃないかってくらい雁字搦め状態の映画業界。
女性を女性として映画に出しただけで「ピー!」て笛吹かれそうな恐ろしい時代だ。
タランティーノだって例外ではないはずで、セクハラ問題も報道されてたし、本当に血の嵐、暴力の嵐だった『ジャンゴ 繋がれざる者』から数年しか経ってないが、暴力描写に対する非難も更に厳しくなっているはず。

そんな溜まりに溜まった世界の息苦しさを晴らすかのように、マンソン・ファミリーに炸裂する主人公リックとクリフによる、あきらかにやりすぎな暴力の嵐。

クリフは男の顔面を足で砕き、女の顔面をこれでもかと壁に打ち付ける。
かと思えばクリフの愛犬ブランディは男の股間を噛み砕く。
そしてラストは血だらけでパニックに陥る女をリックが火炎放射器で焼き尽くすというやりすぎっぷり。

「うるせー馬鹿野郎、これが映画なんだ!」とでも宣言するかのような過剰な暴力が素晴らしかった。

だって「映画=暴力」ってこの図式は否定しようにもしきれない史実であり事実であり真理でしょう。
人間が本来持つこの暴力性、血を欲してしまうどうしようもない本性を映画という素晴らしい発明で発散、昇華しなければどこでするというのか。

映画というフィクションに許された特権だ。

イカれたマンソン・ファミリーの残忍極まりない暴力を、映画ならではのタランティーノ流暴力で痛快に凌駕していく様は爽快であり、そのやりすぎ具合は笑わずにはいられない。

タランティーノ作品の暴力描写はホラー映画やリアリスティックな犯罪映画が目指すそれとは一線を画す。
確かにやっていることは物凄く残酷なんだけど、でもものすごく間抜けな空気が漂っている。
コーエン兄弟の作品なんかも近いものがあるが、コーエン兄弟は器用なのでやろうと思えばユーモアを排した暴力描写もできるが、多分タランティーノはできない。
どうやっても多分あの間抜け感が漂ってしまう。

それがいいのだ。

あれを見た上で何か事件とか起こしちゃう奴がいたとしても、それは間違いなくそいつの素質でタランティーノ作品は全く関係ない。
何でも関連付けんのやめろ、バーカ。

こんな世の中だから真面目ぶって、タランティーノは暴力と決別しようとしてこの映画を撮ったんだなんて、タランティーノをいい子にしたがるクソボケドアホな感想をネットで読んだが、そんなわけあるか、うんこたれ。

タランティーノにそんな気あるわけない。
あったらそもそもこんなもん撮らない。

あの暴力性、運動性を失ったら何が残るというのか。

……

長い会話だけである。

そう、この映画もこれまでの映画にもれず会話が長い。
いや会話が長いというより、本題までが長い。
リックの盛衰に関するドラマがあるものの、まあこれは言ってしまえば状況説明的なものである。
シャロン・テート事件の当日はラスト30分程度だ。
残りの前フリが約2時間。
しかも特にドラマティックなことなんてない。
他の映画であれば30分くらいでおわってもおかしくない。

このアンバランスがタランティーノなわけだが、やはり観れてしまう。
そして面白い。
キャラクターが良いというのもあるが、ちょいちょい素晴らしいショットが入っているからなのだろう。
牧場で一騒動起こしたクリフの元に向かう、テックスの馬で疾走するショットなんてものすごい高揚感だった。
無駄に凝った複雑なショットも妙に気持ち良かったりする。

これはタランティーノの力なのか、撮影監督たちスタッフの力なのか。
撮影現場を見学してみたいものである。

なんの気なしな2人のヒーロー

シャロン・テートを救うヒーローは当然、ディカプリオとブラピだ。

2人が演じるのはハリウッドでは落ちぶれている俳優リックとそのスタントマン兼付き人的なクリフ。
リックは西部劇のテレビスター俳優から映画俳優に転身しようとするも失敗し、今では新人俳優主演作品の悪役などゲスト出演ばかり。
いわば踏み台だ。
ひどく落ち込み、やけにませた8歳の子役に不安を吐露し泣いてしまうほど。
だがそれまでただのボンクラだと思っていたリックが、自らの現状を受け入れ、与えられた悪役で素晴らしい演技をみせるのだ。
そして嫌がっていたイタリア製西部劇、マカロニウエスタン俳優として新たな一歩を踏み出す。

クリフは何ともとらえどころのない男だ。
元兵士で本当にたくさんの人間を殺傷してきたスタントマン。
おそらくとんでもない地獄を見てきた彼は、仕事がない現状にもうろたえることはない。
感情の浮き沈みの激しいリックをただただ静かに見守るのだ。
時代の流れも、リックの浮き沈みも全てを受け入れたようにあるがままにクリフは生きる。

そんな時代に取り残されつつある斜陽の2人が世界を救うのだ。
しかも方やLSDで意識朦朧、方や酔っぱらいプールで浮かぶ、なんの気なしな2人だというのが最高だ。
別々の道を歩もうとする別れの夜に思いがけず2人は世界を変えてしまう。

この事件に関わらなくてもリックは実際のクリント・イーストウッドのようにマカロニウエスタンを経て大スターになるかもしれない。
だがシャロン・テートが救われ、ハリウッドもまた現実とは違った運命をたどるかもしれない。

その時リックとクリフはきっと一緒にいるのだろう。
事件を通じ更に信頼を深めた2人はロマン・ポランスキーの映画に携わっているかもしれない。
そんなリック、クリフ、そしてシャロン・テートの未来を想像してしまう。

しかし一番気になるのはロマン・ポランスキーだ。
この映画を彼は観ることがあるのだろうか…

スポンサーリンク