今年になって少なくとも毎週1本は映画館で映画を観ようと頑張っているんですが、どうも心から楽しみな映画が公開されなくて困っている今日このごろです。
あまり観たくない映画を観にわざわざ映画館行くのって、嫌いなやつと2人きりになるときくらいエネルギーを使います。
僕は一度嫌いだと思うと、一言すら喋りたくなくなるんでほんと質が悪いんです。
それと同じくらいどれも観たくありません。
先々週は特に悩みに悩んで、結局『女王陛下のお気に入り』を観に行くことにしました。
4週間前に観に行ったけど自分の中で整理しきれなくて、まだ記事書けていない『バーニング 劇場版』の予告を観て初めて知った本作。
最近観た『ROMA』が金獅子賞を獲った第75回ヴェネチア国際映画祭で審査員大賞、女優賞を獲得したり、米アカデミー賞に10部門ノミネートされたりとすこぶる評判のいい作品だったんですね。
全然知りませんでした。
そんなに評判いいなら仕方ないから観てやるか、という上から目線で決めました。
でも宮廷とか貴族ものって、お硬い感じがして観る気おきないですよねー。
パッと画を観ただけで「おまえみたいなゴミが観るんじゃねえ!」と言われてる気がして止めたくなります。
あと大学時代によく観ていたルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニの映画にはよく貴族が出てくるんです。
それを風刺、批判したりしているらしいんですが、何が面白いのかよく分からなかったんですよ、当時。
まず貴族がなんで白塗りなのか分からない。
単純に気持ち悪い。
そこから変な抵抗感が生まれてしまったんですよね。
「ヨーロッパの貴族映画=馬鹿には分からないから近づかない方がいい」と。
しかも主要人物3人とも全員女性。
この時代に勇気ある発言ですが「自立する女の頑張り」、「自立する女性の気持ち」みたいな映画だったら死ぬほど苦痛な時間決定です。
ということでめちゃめちゃ不安だらけで観てきましたよ、公開初日朝一で。
六本木ヒルズのTOHOシネマズは穴場かもしれませんね。
同じTOHOでも新宿は満席に近かったのに六本木はスカスカでしたから。
ちょっと遅くなってしまいましたが、感想書きたいと思いまーす。
『女王陛下のお気に入り』とは???(まだネタバレなし)
作品データ
原題 The Favourite
製作年 2018年
製作国 アイルランド・イギリス・アメリカ合作
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 120分
映倫区分 PG12スタッフ
監督
ヨルゴス・ランティモス
製作
セシ・デンプシー
エド・ギニー
リー・マジデイ
ヨルゴス・ランティモス
脚本
デボラ・デイビス
トニー・マクナマラ
撮影
ロビー・ライアン
美術
フィオナ・クロンビー
衣装
サンディ・パウエル
編集
ヨルゴス・モブロプサリディスキャスト
オリビア・コールマン / アン女王
エマ・ストーン / アビゲイル・ヒル
レイチェル・ワイズ / レディ・サラ(サラ・チャーチル)
ニコラス・ホルト / ロバート・ハーリー
ジョー・アルウィン / サミュエル・マシャム
ジェームズ・スミス / ゴドルフィン
マーク・ゲイティス / モールバラ卿(ジョン・チャーチル)
ジェニー・レインスフォード / メイ
フランスと交戦中の18世紀イングランドを舞台に、女王アンとその幼馴染で女官長を務めるレディ・サラ、そしてサラの従姉妹で侍女のアビゲイルが繰り広げる愛憎劇です。
戦争で国の政治が不安定ですが、女王アンはそんなことよりも愛されたい病の困った中年おばさん。
そんな彼女の幼馴染で”お気に入り1号”であるサラがアンを影で操り国を動かしているんですね。
そんな2人の間に上昇志向丸出しの元貴族アビゲイルが乱入してきて、やがてアビゲイルは”お気に入り2号”となるわけです。
女王アンの”お気に入り”=アンの愛だけでなく、権力や贅沢を手に入れることなわけで、それを巡るサラとアビゲイルの熾烈なバトルが繰り広げられます。
ざっくりいうと「権力おばさんを取り合う側近2人と、その様子を見て興奮する権力おばさんの三角関係を描いたコメディ」です。
僕も観るまでどんな雰囲気なのか分からなかったんですけど、全然お硬いドラマではないんです。
スチールなんかを観ると歴史ドラマ感全開ですが、むしろこの映画を観ても歴史はほとんど知ることが出来ないです。
でも観終わってから知ったんですけど、けっこうアホくさい話なんで架空の人物、出来事かと思いきや細部はおそらく違えどみんな本当にいた人物、歴史の流れなんです。
アン女王はイギリス本国でも全然有名じゃない女王らしいです。
実在したなら歴史も知れるだろと思われるかもしれませんが、ほとんど3人の人間関係描いているんで、国がどうなったとかは最後の方で少し出てくるくらいで全然分かりませんでした。
あ、決して僕も歴史知りたいわけじゃないですからね。
むしろどうでもいいです。
ただそんな感じの全く肩肘張らず観られる映画ですよーというのを強調したかっただけです。
監督/キャスト
監督はヨルゴス・ランティモス。
下半身がすごそうな名前ですよね。
ギリシャ出身の監督で『ロブスター』(2015)、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017)なんかが有名です。
『女王陛下のお気に入り』では少し弱められていましたが、シニカルでブラックでヘンテコな映画を撮る監督です。
まさに鬼才という感じで、受け付けない人はとことん受け付けないタイプの作品を撮る人ですね。
敢えて変なところに行く悪趣味な人間です。
そしてそれを冷静に遠くから淡々と見つめほくそ笑む、ほんと嫌なやつです。
でも僕もそのタイプなんでけっこう好きなんですよねえ。
この映画は過去作と違ってヨルゴス・ランティモス初の英語作なので脚本もヨルゴス・ランティモスは書いてないんです。
でもいけ好かない奴らの話なんで、彼にぴったりな題材だと思いました。
うまく作品選んだなあという印象です。
主演の女王アン役はオリヴィア・コールマン。
イギリス人女優です。
僕は名前聞いても全然ピンと来ませんでした。
出演作何作か観てるんですけど、全然記憶にないです。
アクション映画の悪役が似合う顔してます。
頭良さそうな感じ。
……
紹介以上。
頭悪そうな紹介文ですみません。
「お気に入り2号」アビゲイル役はエマ・ストーン。
『ラ・ラ・ランド』(2016)の出演で今乗りに乗ってる印象です。
すごく可愛く見えることもあるけど、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)の時のように情緒不安定で脆くて危うい感じの役がよく似合う印象です。
ちょっとびっくりしたんですけど、1988年生まれとまだまだ若いんですね。
化粧によって全然違う年齢、雰囲気に見えるのはすごいことですよね。
特別好きではないですが。
「元祖お気に入り」レディ・サラを演じるのはレイチェル・ワイズ。
もうねー、最初予告観た時まず思った感想はこのレイチェル・ワイズについてでした。
僕は中学生の時観た『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999)のレイチェル・ワイズが大好きだったんですよ。
よく言えば多感な時期、ハッキリ言うとやってみたくてしょうがない時期。
そんな時観たレイチェル・ワイズはめちゃくちゃセクシーで可愛かったんですよー。
たまらなかったですね。
そしてこの『女王陛下のお気に入り』の予告…
ショックでした。
『ロブスター』からは数年しか経ってないのにやけに老けた気がしてなりませんでした。
もちろん綺麗なんですけど、時の残酷さを感じずにはいられませんでしたね。
まあ『ハムナプトラ』から数えると20年ですから当然といえば当然。
ということで憧れのレイチェル・ワイズの今を受け止めるのが怖くて、観たくないと思っていたところもあったんです。
ちなみに今は『007』シリーズの6代目ジェームズ・ボンドですっかりお馴染みのダニエル・クレイグと結婚しています。
でも過去には『アメリカン・ビューティー』(1999)の監督サム・メンデスと交際していたとか。
サム・メンデスといえば近年は『007』の監督。
なんか色々気を使いそうですよね…
『女王陛下のお気に入り』のあらすじ
ではざっくりとあらすじを。
舞台はフランスと交戦中の18世紀イングランド。
国を統治するのは中年の女王アン。
しかし彼女は17人もの子供に先立たれ、痛風を始めとしたたくさんの病気に悩まされていた。
孤独と病気で不安定な女王を支えていたのは幼馴染の女官長レディ・サラ。
サラがいないと生きられない状態のアンだったため、宮廷、国を裏で意のままに動かしていたのはサラであったのだ。
そんな宮廷にある日サラの従姉妹アビゲイルが仕事を求めてやってくる。
アビゲイルは元々貴族であったが、父のせいで家は上流階級から没落していた。
最初こそ下っ端中の下っ端であったアビゲイルであったが、痛風で苦しむアンを摘んできた薬草で楽にしたことで、サラ、アンの信頼を得て侍女に昇進する。
やがてサラが戦争問題にかかりっきりになり、アンと過ごす時間が少なくなった時を好機と捉えたアビゲイルはアンとの距離をどんどん詰めていく。
サラが知らぬ間にすっかりアンの”新たなお気に入り”となったアビゲイル。
ここに上流階級への復帰を目指す上昇志向の塊アビゲイルと、再び”アンの唯一のお気に入り”の座復帰を目指すサラの「女王の寵愛」を巡る壮絶な女の闘いの火ぶたが切られたのでした。
みたいな感じ。
映画『女王陛下のお気に入り』を観る
『女王陛下のお気に入り』の感想、解説(ここからネタバレあり)
まずはうんこ度(このサイトではどのくらいつまらなかったかで評価してます)
4.5/10 イギリス版大奥っていう宣伝は良くないなと思わされる映画
観てる間はけっこう笑って楽しんでた気がするんですけど、見終わった直後の感想としては満足感はそんなにない映画でした。
どこか物足りないんですよ。
ダークでシニカルで人を突き放したような笑える映画という僕が好きな要素満載なのに、終わってみると何も僕に傷を付けてくれませんでした。
満足感が高い映画っていい意味で違和感があるというか、何かが引っかかる映画だと思うんですよ。
でももうちょっとで引っかかるってところで全てがスーと通り過ぎてしまいました。
そこまで各国の賞レースを席巻するような素晴らしい映画に僕は思えなかったですね。
あくまで個人的には。
まあとりあえず予告編が悪いです、はい。
この予告編見て、日本人はほんとに楽しめてるんですかね?
問題の「イギリス版大奥」が無かったとしても、僕にはこの映画を面白いと言っている人の大半が宣伝で楽しいよ、笑えるよと先入観を植え付けられて、そのまま楽しいものだと思い込んでいるんじゃないのかなあと思ったんです。
「荘厳な雰囲気の硬い見た目なのに、中身は親しみやすいギャップが最高だよ」という前評判に。
「イギリス版大奥」という最低な宣伝文句
日本て昔からドロドロしたいじめもの、恋愛ものとか女同士の醜い争いみたいな作品が非常に多いと思うんです。
まあ僕が知らないだけで他国にも意外と多いのかもしれないですけど。
僕は大学で実家を出るまで、日中家にいる時は母親と一緒にけっこう昼ドラ見てたんですけど、そこでは笑っちゃうような嫉妬や陰湿な行為の数々が繰り広げられてました。
まあ小さかったんで特に面白かったという記憶はないんですが、女性は恐ろしいものなんだと完全に真に受けた記憶はあります。
そのおかげといっていいのか分かりませんが、今のところそういった女性問題で困ったことはありません。
あ、嘘でした。
一度だけ突然多重人格だと言い出す女性と関係したことありました。
電話に出ると声は確かにその子なのに全く違う口調で
「あの子は寂しがってるだけなんだ。逃げたければ逃げればいい。」
と言われました。
……
もうね、震えましたね。
大学生の純情な僕には怖すぎました。
未だに本当だったのかどうかは定かじゃないんですが、狂言だったら怖すぎます。
ま、そんなどうでもいいことは置いといて、昼ドラ以外にも先程書いたように宣伝にも使われている『大奥』は日本人の大好物らしく、しつこいくらい多くの映像化作品が作られています。
特に菅野美穂主演の連続ドラマが当たって以来しつこくシリーズが作られてますよね。
僕はちゃんと通して観た記憶はないんですけど、なんとなく観た記憶はあって菅野美穂、松下由樹、小池栄子なんかが記憶に残ってます。
決して面白かった記憶はないんですが、こちらも笑いと紙一重の怖い女の迫力だけは記憶にあります。
という具合に昼ドラ、『大奥』を筆頭に日本人は、「愛憎や嫉妬に満ちた女同士の美しくて醜い壮絶な争い」的な物語を見慣れていると思うんです。
まあもちろんそうでない人もいるでしょうが、少なくとも僕はそうでした。
なのでこの『女王陛下のお気に入り』は既視感が強くて特に目新しく感じることが少なかったんですよ。
3人の駆け引きなんかも、もう全て「はいはい、分かる分かる、どっかで観たことあるわーこの感じ」ていうところから抜け出すことはなかったですね。
アンとサラの関係なんてどこか少女漫画的だし。
少女漫画もちゃんと見たことないですけど、日本で生きていると何故か自然に「少女漫画的」という共通概念を持っているんですよね。
誤解がないように言っておくと充分面白いんですよ、笑えるというのは本当だし、その関係の裏に快感が絡んでいる感じも良かったんです。
すぐ彼女が病気になる邦画に比べたら最高の出来です。
でも既存の安定の面白いものを観たって感じなんですよ。
そこに+α何か引っかかるものがあれば…
おそらくこれを面白いと言って絶賛している人の半数は、その自分の知っている面白さをこの映画がなぞってくれているから、面白いと思い込んでいるんじゃないかと思ったんですよね。
そんなのこの作品に限ったことじゃないし、もちろん僕もそういうところあるんですけど、何故かこの『女王陛下のお気に入り』はそれを強く自覚させられた気がします。
でも本当の面白さって今までに見たことないっていう新しい発見の方にあるはずなんですよ。
だからこれが予告編で「英版大奥」なんてデカデカと宣伝されてなかったら、もっと新鮮な目で見れていたかもなあと思ったんです。
僕が『女王陛下のお気に入り』の予告を観たのは公開2週前のたった1度です。
しかも映画の存在自体を知ったのもその時です。
その後も観るまでほとんど内容については情報を入れませんでした。
各国で賞レース荒らしてまっせーてことくらい。
こんなに情報をシャットアウトしてたのに、「英版大奥」という先入観が映画の内容を僕に予想させ、そして実際観るとほとんどそこからズレることなく終わってしまうという。
なんと最高に的確で最高に馬鹿な宣伝文句でしょうか。
実際に観る観客にとっては0点の宣伝ですよ。
そういう「大奥」的なやりとりに始めから注目して見てしまうから、観方が狭まってしまうんですよ、どうしても。
それが残念でしたね。
まあその日本的と言っていいのか分かりませんが、僕らが知っているドロドロ感が、ギャグじゃないマジなイギリス宮廷で繰り広げられるというギャップはけっこう新鮮で面白いのかもしれません。
時代考証はあえて無視しているところも多いらしいですけど、ロケ地や衣装はそれはもう美しいですからね。
そういう堅苦しい見た目からは想像できない、現代にも通じる普遍的な人間の業的な描写が評価されているのかもしれません。
まあそこは僕にとっては大して面白くなかったですけど。
アンはモンスター
この映画ってサラとアビゲイルの「女王陛下のお気に入りの座」を巡る争いという印象が強いんで、エマ・ストーンとレイチェル・ワイズが登場シーンも多くて目立つんだと思うんです。
アンは自由に動けないというのもあって、サラ、アビゲイルが余計に行動的に見えるんですよ。
でもやはり振り返るとこの映画は完全に女王アン、オリヴィア・コールマンの物でしたね。
映画全体としてはそんなに満足できなかった僕もオリヴィア・コールマンの気持ち悪さには満足しています。
強烈でしたよ、老けた見た目も演技も存在感も。
一見この映画は女王アンを1人のただの人間として描いているように見えるんです。
世界のどこにでも、現代にでもいる、悩める孤独な中年おばさんとして。
むしろ世間知らずなアホみたいに描いてますよね。
だからこの映画は「歴史の裏では、そんな何も分かっていないおばさんを巡る女たちの三角関係が世界最強の大国を動かしていたなんて、なんて面白いんだ」って捉えられてると思うんです。
「こういったことは現代にも通じる普遍的な人間の業だ、それをこんな面白おかしく描くなんて、なんて素晴らしい!!」みたいな。
でも欲深いアビゲイルとサラに踊らされてるように見えるアンが結局1番モンスターなんですよね。
僕にはアンはアホなふりしてるだけに見えるんですよ。
子供が亡くなり孤独なのも、病気、肥満なのも、政治のことなど何も分からないのも本当なんですけど、それを利用して全てを自らの快楽に変えるモンスターに思えるんですよ、アンは。
自分で意識してやっているわけじゃないけど、自然とそうしてしまっている、1番怖いタイプですね。
サラに化粧をボコボコにいじられるのも、そういうプレイでしょう。
それが気持ちいいんですよ、アンは。
美しい者に叱られたい、罵られたいという。
そう観ると全てが快楽を本能的に求めた結果の行動に見えてきます。
アンのお気に入りは間違いなくサラですよね。
若くて美しくてなんと口でもしてくれるアビゲイルはたしかに魅力的なんですが、ドMでもあるアンにとって罵り叱ってもくれる唯一の存在サラは、憧れにも近い別格の存在だったはずです。
サラもサラでアンを利用して自らの思い通りに国を動かそうとします。
アビゲイルと意地の張り合いのせいで2人の関係は修復不可能な結末を迎えますが、ここにも快楽が生じているように思えるんですよ。
まずは軽い突き放し行為ですよね。
アビゲイルを寝室付きの女官にしたあたりですかね。
関係を終わらせる気なんてさらさらなくて、ちょっとそれを匂わせることを言ってみる、してみる。
そして困る相手を見て、ちょっとした快感を味わうみたいな。
まあこの辺までは誰しもあると思うんですが、この後はねー、僕みたいなやや歪んだ人間にしか分からないと思うんです。
もうこれをしたら関係が壊れると分かっているのに、それをせずにはいられない。
意地とかそういうことじゃないんですよ、もういくとこまでいってるからそれどころじゃないんです。
でも決定打を放ってしまうんです。
サラを国外追放までしてしまいますからね。
これは間違いなくどこかに快感が伴っているんだと思うんですよ。
決定打を放つ瞬間のヒリヒリ感というか、ギリギリ感というか。
「あー、だめだー、やっちゃダメだー、あーーーーー、ていっ」
直後は後悔もあるんだけど、どこか快感の方が勝っている気がするんですよ。
その後の関係が壊れた後は後悔しまくるんですけどね。
精神科医とかに診断されたわけじゃないんで科学的根拠全く無いですけど、じゃないとそうしてしまう説明がつかないです。
まあ快感があるにせよ、ないにせよ、ややサイコパスな素質の持ち主であるのは間違いない。
僕も。
アンとサラはお互い下心があるにせよ、根底では心から信頼していたんだと思います。
サラからの手紙1つを心待ちにするアン、同性愛の証拠となる手紙の束を処分するサラ。
このあたりの描写はちょっと切なかったですね。
そんな本当は大事な関係なのに、壊さずにはいられなくなるアンのモンスターぶりは良かったですよ。
一番強烈だったのは最初の同性愛シーンでアンがサラの指を舐めるところ。
あれは本当に気持ち悪かった…
ああいうシーンてもっとエロティックというか観ててすこし興奮が伴うことの方が多い気がするんですけど、僕は「おえ〜」てぐらい気持ち悪かった。
ちょっと想像しちゃったんですよね、女王なのにこんなに汚らしいババアに指舐められたら失神すると。
ここで少しこの映画が好きに傾き始めました。
人間モンスターが出てくる映画は好きなんです。
でもその後描写的なモンスターっぷりが全然足りませんでしたね。
この手の映画ってもうちょっとエログロとか多い印象なんですけど、ほぼもう無かったです。
まあ出たら嫌悪してたかもしれないですけど、もうちょっとアンのインパクトある気持ち悪い描写が欲しかったです。
孤独が故の悲しいモンスターっぷり。
あ、そういうモンスターなところで言うとアビゲイルとの最初の頃の絡みで、ウサギを愛でるシーンは良かったですね。
僕には地べたに座った孤独な大柄なモンスターに見えました。
赤ちゃん返りしたみたいなオママゴトをするような表情に、狂気が見て取れて面白かったですねー。
こういうところ観ると僕にはコメディ映画というよりホラー映画だったなあなんて思ったり。
あとは政治的なことで言うと、アンは全然分からないからこそ、分からないを貫き通すことが正解だと分かっているんですよ、本能的に。
下手にそういうやつが分かってるふりして首を突っ込むとヤバイことになると、アンは分かっているからこそサラに任せている。
ある意味本当に賢いです。
この時国民は大変な苦境にいたんでしょうけど、アホがそのまま分かったふりして指揮を執るほうが大混乱に陥るはずです。
なんだかんだそうやって流れに身を任せることで正しい方に行ったりする。
この映画内では最終的にアビゲイルに傾いたことで、国は戦争終結の方に向かいます。
僕は歴史的にこれがイングランドにとって成功だったのかは知りませんが、少なくとも現代の判断としては正しい判断でしょう。
このように分からない者には分からない者なりの、賢さがあるんだと思います。
だから僕にはアンは本当はアホでもなんでもなくて、けっこうキレ者だったように見えるんですよ。
その秘めてる感じもモンスターに見えた理由ですね。
そんなことから現代のこと思うと、やっぱり某国の大統領のこと思い浮かんだりして、「権力を持ったアホほど怖いものはないという映画」だったなあなんて思ったりしましたよ。
その他
ちょっと雰囲気がピーター・グリーナウェイ作品に似ている感じがして、強いエログロが出てきそうで構えていたんですけど、そんなことなくて安心だった反面、そういったインパクトある描写があれば、先述した+αになり得たのかなあなんて思いました。
撮影方法で言うと大きな特徴として本物の宮廷を活かすために超広角レンズを多用していたことが挙げられます。
僕も普段仕事で超広角レンズを使用したりするんですけど、建物や室内を煽り気味に撮るとその歪みから迫力ある面白い画になるんですよ。
僕はこれがけっこう好きなんですけど、人間の目とはかけ離れた描写だけに通常映画では敬遠されるんです。
でもこの映画は浮世離れした宮廷内、歪んだ人間、人間関係を表現するのにうまく機能していて良かったですね。
あーこういう映画の時には超広角レンズも割としっくりくるんだなーとかなり勉強になりました。
あとは僕が一番笑ったシーンを挙げておくと、サラとハーリーの謎のダンスですね。
それを観たアンが嫉妬するんですけど、僕は大爆笑したんですよ。
あれも時代考証無視でやったんでしょうけど、ハーリーの謎のステップがなんとも面白かったんですよ。
あの荘厳な雰囲気と相まってかなり良かったんです。
一番良かったんじゃないかってくらい僕は大好きだったんですけど、僕以外誰も笑ってなくてかなり恥ずかしかったです。
最後に
ここまで書くとやはり悪いのは日本の宣伝ですね。
気持ちは痛いほど分かりますけど、いつもネタバレしすぎなんですよ。
これさえなければもっと僕の評価は高かったかもしれません。
というかもっと純粋に楽しめたかもしれません。
もう一度Blu-ray化されたら違う視点で観たいです。
映画館にはもう行きませんけど。
まあでもオリヴィア・コールマンの気持ち悪い孤独モンスターっぷりは素晴らしかったです。
普段の姿を観ると賢そうなお姉さんて感じなんですよ。
このギャップを見せつけられると演技が素晴らしかったってことなのかなあと。
アカデミー賞で作品賞はとらなかったけど、主演女優賞とったのは納得かなあ。
あ、エマ・ストーンの裸観られたのはちょっと得した気分でした。
完