映画『ミスター・ガラス』ネタバレ解説、評価、感想!シャマランが映画に込めた思いとは?
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「現実世界でヒーローが生まれるとしたらきっとこんな感じだよ」とM・ナイト・シャマランが真面目にふざけて教えてくれた大傑作『アンブレイカブル』(2000)から19

まさかの続編『ミスター・ガラス』がついに公開されました!!!!

ジェームズ・マカヴォイを使ってこれまた真面目にふざけたおした『スプリット』(2016)のラストで突如発表された今作。

全世界のシャマラーが度肝を抜かれたことでしょう!

僕なんてシャマランがみんなにどんでん返し期待されすぎて、ついに嘘までついてしまったかと思うくらいビックリしました。

ということできっと今回も超真面目にふざけた怪作を送り届けてくれたんだろうと期待して観に行ってきましたよ。

 

映画『ミスター・ガラス』とは???(まだ『ミスター・ガラス』のネタバレはなし)

作品データ
原題 Glass
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 ディズニー
上映時間 129分
映倫区分 G

スタッフ
監督
M・ナイト・シャマラン
製作
M・ナイト・シャマラン
ジェイソン・ブラム
マーク・ビエンストック
アシュウィン・ラジャン
製作総指揮
スティーブン・シュナイダー
ゲイリー・バーバー
ロジャー・バーンバウム
ケビン・フレイクス
脚本
M・ナイト・シャマラン
撮影
マイケル・ジオラキス
美術
クリス・トゥルヒージョ
衣装
パコ・デルガド
編集
ルーク・シアオキ
ブル・マーレイ
音楽
ウェスト・ディラン・ソードソン
音楽監修
スーザン・ジェイコブス

キャスト
ブルース・ウィリス / デヴィッド・ダン
サミュエル・L・ジャクソン / ミスター・ガラス
ジェームズ・マカボイ / ケヴィン・ウェンデル・クラム
アニヤ・テイラー=ジョイ / ケイシー・クック
スペンサー・トリート・クラーク / ダンの息子
シャーレイン・ウッダード / ミスター・ガラスの母
サラ・ポールソン / 精神分析医

 

M・ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン出演の傑作『アンブレイカブル』の19年ぶりの衝撃の続編です。
何が衝撃って16年も経って公開された同じくシャマラン監督作『スプリット』(2016)のほんと最後の最後で突然発表されたからなんですねえ。
全然関係ない映画だと思って見ていた『スプリット』の世界が『アンブレイカブル』と同じ世界だったという。

ということで『ミスター・ガラス』は『アンブレイカブル』、『スプリット』の続編ではありますが、『アンブレイカブル』と『スプリット』は内容的にはそんなに繋がりがありません。
まあ実はけっこうあるんですが…

『アンブレイカブル』とは?(『アンブレイカブル』のネタバレあり)

『アンブレイカブル』をざっくり紹介すると

骨が折れた状態で産まれるほど、先天的に骨が脆い男イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)は、その体のせいで他者と同じような生活は出来ず母親に買って貰ったアメコミの世界にどっぷり浸かって育った。
そしてイライジャはこう考える。
「なぜ自分だけこんな体なのか。こんなに脆い体の人間がいるならアメコミの世界のように、その対極にある絶対壊れない体の人間が存在するのではないか。だったらその男を見つけてヒーローにするために俺は生まれたんではないか…」

そんな時発生した列車事故。
乗員・乗客131名が亡くなるほどの大惨事にも関わらず唯一人生き残った男デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)こそ、自分が探していた「アンブレイカブル」だと確信したイライジャは彼にコンタクトをとる。
イライジャに「おまえはスーパーヒーロー」だと言われ一度は否定するダンであったが、思い当たる節があったのだ。
次第に自分には怪我も病気もしない身体、触れた者の心を読む力、悪を感知する力があることを意識しだしたダンは、息子の思いも力に変え正義のためにその力を使っていく決意をする。
生き方に変化をもたらしてくれた礼をするためにイライジャの元を訪れたダンは、去り際にイライジャと握手をする。
そこで判明した事実は想像を絶するものであった。
ダンが乗っていた列車事故は爆弾を使ったイライジャの犯行だったのだ。
スーパーヒーローを探すためにテロ行為を行っていたイライジャに絶望したダンは彼を精神病院に送るのだった。

て話!
全然ざっくりじゃなくなってしまいましたが…

まだスーパーヒーロー映画が今ほどメジャーじゃなかった2000年に発表された『アンブレイカブル』は、シャマランの前作『シックス・センス』(1999)のインパクトとその時代を先取りしすぎた作風のせいであまりヒットしませんでした。

そして今や『ダークナイト』三部作やマーベル・シネマティック・ユニバースなどでスーパーヒーロー映画全盛の時代となりました。
現在のアメコミの映画化は『ダークナイト』(2008)に代表されるように、現実に即した世界でヒーローも等身大の人間として描かれます。
絶対的に強いわけではなく、人間的な精神の弱さや弱点を晒し、傷つき悩むんです。

『アンブレイカブル』はそれらの作品の先駆的作品となっていた事実に驚かされます。
まずそれまでのコミック作品みたいにSF映画としては描かれず、あくまで現実世界に則して描かれているんです。
そしてダンもイライジャも自分の存在意義に悩む等身大の人間として描かれています。
また一見サスペンス、スリラー映画のような皮を被っていますが(そう見ても面白い)、その実は超ねじれた構造のスーパーヒーロー誕生物語というとてつもなく変な映画です。
もちろん褒め言葉。

『スプリット』とは??(『スプリット』のネタバレあり

『スプリット』は個人的にはあまり好きではないんですよね。
主人公ケヴィンを演じるジェームズ・マカヴォイがなんか気持ち悪くてあまり見たくないんですよ。
でも演技は確かにすごいんです。
マカヴォイ無双な映画です。
それより個人的にはケーシー演じるアニヤ・テイラー=ジョイが大好きです。
変わった魚顔ですが、すごく可愛いです。
途中から脱がされて胸が強調されてくるところも、シャマラン分かってなーて思いましたねえ。

あ、全然内容紹介してない。

ざっくりいうと

ある日ビッチそうな同級生2人と共に拉致された地味めな女子高生ケーシー(アニヤ・テイラー=ジョイ)。
彼女たちを拉致したのはコロコロと人格が変わる24(最初は23かな)の人格を持つ男ケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)だった。
幼い頃から母親に虐待を受けて育ったケヴィンは、自分自身を守るためにたくさんの人格を生み出していた。
そんな彼を外部から守るために人格のうちの数人の強硬派、通称”群れ”は穢れた女を生贄として捧げることで最強の肉体を持つ人格”ビースト”を生み出そうとしていた。
そのためにケーシーたちは拉致されたのだ。

ついに誕生してしまったビーストに襲われ逃げ回るケーシー。
ショットガンすら効かないビーストに壁際に追い詰められ絶体絶命のピンチに陥ったその時、彼女の体に無数に付けられた傷をビーストは目撃する。
ケーシーもまた実の叔父に虐待されながら育ったのだ。
ケーシーが自分と同じ苦しみを共有する者だと悟ったビーストは彼女を残しその場を立ち去る。
また警察に保護されたケーシーも、事件を通して得た勇気を胸に叔父を告発するのであった。

という話!

けっこうヘビーな内容ではあるんですが、マカヴォイの多重人格演じ分けによりかなりコメディ色も強い雰囲気となっております。
最後の最後で『アンブレイカブル』のダンが登場し、『ミスター・ガラス』につながることが判明します。
そう、『スプリット』もホラー、スリラー映画であると同時に、ケヴィンというヒーロー誕生映画でもあるわけです。
彼はアメコミの世界で言えば悪役、ヴィランなんでしょうが、見方を変えると虐待や失意を味わった者のために闘うヒーローでもあるわけです。
今作も『アンブレイカブル』同様かなりねじれた変な映画でした。
もちろんいい意味で。

『ミスター・ガラス』のあらすじ

『アンブレイカブル』から十数年…
成長した息子と共に正義のヒーロー通称”監視者”として活動しているダン(ブルース・ウィリス)は女子高生誘拐事件で指名手配されているケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)の行方を追っていた。
ケヴィンを発見しバトルに突入するダンであったが、2人諸共警察に捕まり精神病院に送られてしまう。

そこでダン、ケヴィンを待っていたのは精神科医ステイプル(サラ・ポールソン)、そしてかつてダンが病院送りにしたイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)であった。
ダン、ケヴィン、イライジャを集めたステイプルはこう告げる。
「あなた達は自分を人間を越えた力を持つスーパーヒーローだと思っているみたいだけど、そんなの全て妄想よ。それをこれから証明していくわ」と(ざっくりニュアンスでこんなこと)。
果たして彼らを待ち受けるものとは!!
そして”スーパーヒーロー”は実在するのか!!!

みたいな話。

なんのこっちゃさっぱりわかりませんよね。

監督/キャスト

書こうかと思いましたけどめんどくせー!

この記事読んでる人は当然知ってるだろってことで割愛!!!

知らいないことはwikipediaへ笑

てことでいよいよ以下、感想です!

映画『ミスター・ガラス』を観る

 

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映画『ミスター・ガラス』評価、感想、解説(途中からネタバレあり)

まずはうんこ度(この映画ではどのくらいつまらなかったかで評価しています)

3.5/10  シャマラーとして大満足と言いたいけど、けっこう不満もある!

んー、やっぱりちょっと物足りなかったというのが率直な感想ですねー。

面白かったしシャマランの泣けてくるほどの映画愛を感じたんですけど、鑑賞後大満足という感じではなかったです。

映画全体の完成度としては素晴らしかったとは思うんですが、期待してた感じとはちょっと違ったといいますか…

「こんな女性だろうなあと勝手な期待をして付き合ったらぜんぜん違うタイプで逆ギレしました」みたいな最低な感じなんでシャマランは別に悪くないんですが…

やっぱり続編映画ってところが大きい気がします。

既存のキャラクター、これまでの物語に捉われすぎて、最近復活しつつあったシャマランの自由さが失われていた気がします。
個人的には意外性が少なかったって思いました。

シャマラン初の正統な続編映画

大好きな『アンブレイカブル』の約20年ぶりの続編ということで期待値が高すぎたのかもしれません。

というのも今作はシャマラン作品初の始めから続編と公言された作品なんです(『アンブレイカブル』に対して『スプリット』は続編という感じではない)。
なので鑑賞する人はみんなダン、イライジャ、ケヴィンを知っていて、彼らのその後や絡みを期待してるはずなんです。
さすがにアベンジャーズみたいな共闘や絡みを期待する馬鹿はいないにしても、やっぱり既知のキャラクターに愛着をもってしまっているんです。
僕も「真顔で3人が全然関係ない会話するのが観たい!」とか「激渋な処刑人になった不死身のダンと銃すら効かないビースト(ケヴィン)のほこ×たて対決が観てみたい!」と中学生男子のような欲望を胸に鑑賞してしまったんです。
そんなことはシャマラン映画には不要な期待のはずなのに、既に知ってしまっているが故に僕は観方を失敗してしまったんですねえ。

案の定そんな映画では全くありませんでした。
はい、馬鹿でした。
もちろんヒーローという役割を担ったダンとヴィランという役割を担ったビーストは対決するわけですが、シャマランはそんなアクション要素を描きたいわけではないので僕のどうしようもない期待は見事に裏切られるわけです。
すごくあっさりとした対決で終わります。
三者の絡み自体も思ってたよりずっと少なかったです。
どんなこちらの予想の斜めをいく絡ませ方を見せてくれるんだろうかと期待してたのに…
映画愛、フィクション愛に溢れたラストに突入させるために、変な逸脱は出来なかったのかもしれませんがもう少し、意外なダン、イライジャ、ケヴィンが観たかったなーて思っちゃいました。
それが1つ目のモヤモヤの理由だと思います。
まあそもそもそんな一般映画の続編を観るような馬鹿な心構えで観たのがいけないんですけど!

でもねー、やっぱり誰が撮っても続編て難しいなあて思っちゃいましたねー。
既に出来上がったイメージ、キャラクター、成功体験、観客の期待がある。
これってシャマラン作品みたいな意外性(どんでん返しのことじゃないよ)が魅力のものには重荷だなあて思いました。

これが前作など無くて『アンブレイカブル』からまとめて1本の映画として観ていたらもっと違った感想、気分になってたのかなあって思います。
あ、でもそもそもケヴィンは『アンブレイカブル』に登場予定だったみたいですから、続編映画にするつもりはなかったんでしょうね。
ダン、イライジャ、ケヴィンという観客を引きつける魅力的なキャラクターが逆に少し仇になってしまった気がします。

シャマラン映画の真の面白さ

シャマラン作品て『シックス・センス』のせいで、世間的にはオチが一番期待されちゃってる気がします。
アホな顔してどんでん返しがあれば最高の映画だと思っているバカどものせいです。
「泣ける映画=いい映画」の次にくだらない法則です。
本当に不幸な呪縛です。

もちろん僕もシャマラン映画のそもそものアイデアやオチがしっかりしているところも好きです。
でも僕が思うシャマラン作品の魅力はそこじゃないんです。

それは”ヘンテコさ””ズレの面白さ”です。
僕が好きな”すごい馬鹿なことを大真面目にやってる”タイプの映画監督だと思います。
シャマラン映画はすごいシリアスなミステリーだったりサスペンス、ホラーみたいなジャンルの皮を被っていますが、どこかヘンテコなんですよ。
登場人物もヘンテコな人ばかり。
ジャンルもずらすし、笑いとシリアスの境界線もずらします。
既存の映画、テーマを全く異なるアプローチで表現しようとします。
他人がやることの斜め上を行こうとします。
なかなか言葉にするのは難しいんですけど、シャマラン好きには納得してもらえるところがあるんじゃないでしょうか。

『アンブレイカブル』なんて最たるもので、ほんとに変な映画です。
でもそのズレた感じが抜群に面白い。
サスペンス映画に分類されることが多いですが、観た後ジャンルはなんですか?と聞かれたら全くわからない笑
強いて言うならヒーロー映画をずらしにずらしたような映画だと思います。
冒頭に書いた「現実世界でヒーローが生まれるとしたらきっとこんな感じだよ」と教えてくれる映画です。
そして”正義のヒーローを世に送り出す戦隊モノの司令官みたいな立場の正義のヒーローが実はヴィランでもある”というフィクション好きには堪らない構造をとっています。
正義が存在して悪が生まれるでもなく、悪が存在して正義が生まれるでもないんですね。
”正義を生むために結果的に悪になってしまう”という時代の何歩先を行っているんだという変な映画でした。
世紀末あたりの映画ですからね。

映画全体に漂う雰囲気もすごくシリアスな雰囲気でイライジャの悲痛さやダン親子の物語はちょっと感動したりもするんですが、やっぱり普通じゃないです。
なんか僕は笑ってしまうんです。
よくこんな絶妙な雰囲気を演出できるなあと感心してしまいます。

でようやく本題に入りますが、そういった僕がいつも感じるズレが『ミスター・ガラス』は弱いんです。
物語の構造も雰囲気も想定内といいますか。
シャマランが表現したかったであろう映画愛、アメコミ愛、フィクション愛はすごく感じるんですが、そもそも映画として普通になってしまっていた気がします。
ズレや違和感も弱かったんですが、そもそもの映画の土台となる、謎や恐怖、スリルなどの部分も弱いんです。
これまでのシャマラン映画はミステリー、ホラー、サスペンス映画としてまず単純に面白いのに、更に普通とはズレているから素晴らしかったと思うんです。
なのにその映画としての土台が弱いから、テーマやラストの展開に感動こそすれど僕はあまり楽しめなかったです。
素晴らしいテーマの表現に向けてひたすら頑張って、娯楽性を考えるのを忘れてしまった感じ。
なにか1つでもいつものようにでかめの謎や違和感をぶっ込んどけば話引っ張れたと思うんです。
それを感じないからすごく中だるみするんですよ。
通常、起承転結の承が一番映画の尺を占めるんですがここが致命的に盛り上がらないんです。

冒頭のケヴィンとダンの対決まではすごく面白かったんです。
テンポもいいし、ダンがかっこいいし、”不死身ダン”VS”不死身っぽいビースト”の矛楯対決にわくわくしたんです。
でもその後すぐ警察に捕まって急激に失速します。
まあ3人が映ってるだけで画面は面白いは面白いんですがちょっと物足りない…
捕まってすぐ病院で3人顔合わさせて、絡ませて、二転三転させて、イライジャが目指す大円団へと繋げていけばいいのにすごくテンポが悪いんですよ。

予告で”自分を超人だと思っている3人を集めて実験する”っていう設定がすげー馬鹿っぽいし果たしてシャマランはどんなトンデモ展開にしてくるんだろー!!!と期待していたのに、この展開が足を引っ張った気がします。
だってほぼ何も起こらない!
そもそもこの実験や精神科医の存在が重要なので外せないのはしょうがないんですけど、だとしたらもうちょっとこのマッドサディスティックサイエンスで僕を楽しませる展開にしてほしかったなー。

『ミスター・ガラス』のラストについて解説、解釈(あと結末ネタバレありです)

ここまで不満を書き連ねたわけですが、ラストの展開やそこに込めたであろうシャマランの思いには感動させられました。

前作『アンブレイカブル』は自分の存在価値に悩む2人のヒーローの誕生物語でした。
でもそれは対岸の知らない人間の話でした。

でも『ミスター・ガラス』はもっと大風呂敷を広げてシャマラン流ヒーロー誕生物語を僕たち観客レベルにまで落とし込んでいました。
そして映画やアメコミなどのフィクションを信じ愛する人々を祝福してくれるんです。

『ミスター・ガラス』では超人的能力を持っていると信じているダン、イライジャ、ケヴィンの3人に精神科医ステイプルは「それはあなた達の妄想でしかない、そんな人間など存在しない」と洗脳に近い説得をしてきます。
この”超人的能力を持っていると信じている”ということ=”映画やコミックなどのフィクションを信じている”ということだと思います。
そしてこの”精神科医ステイプルはそれを否定するもの”=”僕たち誰しもが子供の頃最初は信じていたフィクションや物語をやがて信じれなくなってしまう気持ちや、映画やコミックを否定する人々”だと思うんです。

クライマックスのネタバレ(結末まで書いてます)

ここでクライマックスのネタバレを軽くすると
自分の存在価値を再び見失っていたイライジャは精神科医ステイプルに反抗し、ダン、ケヴィンを誘導し新築ビルのレセプションパーティーで闘わせることでその超人的能力を白日の下にさらそうとします。
それが自分の存在意義だと信じて。
ケヴィン(ビースト)は新築のビルを爆破することで自分を傷つけようとするものが現れないように、ダンはそれを止め人々を守るために。
それぞれが自らの存在意義を信じて必死に闘うんです。
しかしビルにたどり着くことなく、3人はそれぞれ弱点をつかれ命を落としてしまいます。
ダンはその寸前に、自分たちが本当に超人的能力の持ち主であること、そしてステイプルが超人的能力の持ち主たちを抹消し世界のバランスをとろうとする謎の組織のメンバーだということを知ります。
3人をこの世から消し、目的を達したと思っていた謎の組織でしたが、この映画の真の黒幕はミスター・ガラスだったのです。
ミスター・ガラスはビルなどに行くつもりはさらさらなく、一連の脱出過程でダン、ケヴィンが能力を発揮している姿を自らの監視用で設置させたカメラで録画させ、それをダンの息子たちに転送設定させておき全世界に配信しようとしたのでした。
そして自分たち超人的能力を持つものが実在することを世界に証明したのでした。

シャマランの映画愛

上記のような結末だったわけですがこのミスター・ガラスことイライジャの目的は映画内における自分たちの存在証明というだけではないと思うんです。
ミスター・ガラスの真の目的は”観ている僕たち含めて世界の誰もがヒーローなのかもしれないという可能性、そしてその可能性を享受する喜び、驚き、興奮を世界に届けること”であり、そのために3人は必死で闘っているいるように見えるんです。
それはつまりシャマランが映画や漫画などフィクションの世界を本気で信じることの素晴らしさを僕らに伝えようとしてるんです。

劇中ダン、イライジャ、ケヴィンはフィクションを否定するもの精神科医ステイプルに抗い、ミスター・ガラスは”真の黒幕”として世界を操り、彼に誘導されたダン、ケヴィンはそれぞれ”正義のヒーロー”、”悪のヴィラン”として自分の劇中の役割を全うするんです。
彼らはこの映画内における自分の居場所を見つけ、それを必死で全うすることで僕たちに、映画や漫画などのフィクションを信じることの素晴らしさを教えてくれるんです。
その必死な姿にちょっと泣けてきます。
映画を観るときに感じる原初の楽しみ、喜び、興奮、驚きを肯定し、また忘れて欲しくないと訴えかけてくるようです。
シャマランの映画や漫画に対する愛を感じずにはいられません。

とここまで考えるとタイトルの『ミスター・ガラス』はシャマランなんじゃないかと思えてきますね。
ミスター・ガラスはダンやケヴィンというヒーローを生み出しただけではなく、これから世に出てくるかもしれない僕たち観客を含めたヒーローを生み出したとも言えます。
ダンもケヴィンも自分を信じることで力が増しているんですよね。
僕たちも自分を信じればもしかして…
そんなことを思わせてくれます。
なかなかのスケールです。
ほんと素晴らしいんですけど、ちょっとスケール広げすぎてこの映画自体の娯楽性を置き去りにした気がするんですけどね。

終わりに

いやー期待しすぎてちょっと残念な感想になってしまったので、頭からキャラクターに対する愛着を消し去ってもう1度初見の状態に戻りたいです。
そうすれば違う感想になっただろうなー。
まあいずれにせよ、面白かったのはたしかなんでもう一回観て、今度は撮り方やショット、構図を確認したいです。

でもシャマランには、次は続編ではなく『ヴィジット』みたいなヘンテコ作品をまた作って欲しいですねー。
普通とはズレにズレまくったトンデモ作品。
個人的にはサスペンスコメディみたいな良く分からない感じにしてほしいです。

あ、あと『ミスター・ガラス』はパンレット作られてないんですよ。
ユナイテッドシネマとしまえんに観に行ったんで、練馬区が馬鹿にされてて届いてないのかと思ったら、生産自体されていないという…
ディズニー配給のこの規模の作品でパンフが作られないなんて…
これかなり不満でした。
なんたって記事書くのにときにはパクったりと死ぬほど参考にしてるんですから!!!

それよりなにより不満だったのは『アンブレイカブル』、『スプリット』から大体キャストが続投なのにダンの妻役ロビン・ライト・ペン(現ロビン・ライト)が出演してなかったこと。
これショックだったなー!!
亡くなった設定なってましたね。
なにか契約上あったのかなー。
確かに『ミスター・ガラス』のストーリー上はいなくても成立してましたけど、その後のダン夫妻の様子観たかったなー。
なぜか続編て聞いて一番気になったのが夫婦仲だったんで。

あとはー何かあった気がするけど思い出せない…

てことで締まらない終わり方ですが

 

映画『ミスター・ガラス』を観る

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