去年だったか、一昨年だったか、やたら良い評判ばかり聞こえてきた韓国映画『はちどり』。
監督はこれがデビュー作のキム・ボラという女性。
薄い顔の少女が何かを見つめる『はちどり』のポスタービジュアルにはどこか既視感があった。
「あーまた透明感あふれる少女の成長物語か…」
新しい才能として注目される映画って"少年少女が主役の青春モノ"ばかりじゃないか?とちょっとうんざりした気分になってしまった。
勝手な思い込みなんだろうけど、特に日本は少年少女学生青春モノが多すぎるような気がする。
おじさん、おばさん映画がもっとあってもいいのに。
シワほど映画映えする被写体もないのになあ。
需要ねえか。
コロナ禍で混乱してた日本の映画館でもけっこう人入ってたみたいで、行こう行こうと思いつつスルーしちゃったので、配信開始と同時に観ました。
ホームシアター化してから、新作も家で配信で観ればいいやという気になっている自分がいる。
よくないなあ。
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映画『はちどり』とは?(まだネタバレなし)
2018年製作/138分/PG12/韓国・アメリカ合作
原題:House of Hummingbird
配給:アニモプロデューススタッフ
監督
キム・ボラ
製作
キム・ボラ
撮影
カン・グクヒョン
脚本
キム・ボラキャスト
ウニ / パク・ジフ
ヨンジ / キム・セビョク
ウニの父 / チョン・インギ
ウニの母 / イ・スンヨン
ウニの姉 / スヒパク・スヨン
ヨンジの母 / キル・ヘヨン解説
1990年代の韓国を舞台に、思春期の少女の揺れ動く思いや家族との関わりを繊細に描いた人間ドラマ。本作が初長編となるキム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描き、世界各地の映画祭で数々の賞を受賞した。94年、空前の経済成長を迎えた韓国。14歳の少女ウニは、両親や姉兄とソウルの集合団地で暮らしている。学校になじめない彼女は、別の学校に通う親友と悪さをしたり、男子生徒や後輩の女子とデートをしたりして過ごしていた。小さな餅屋を切り盛りする両親は、子どもたちの心の動きと向き合う余裕がなく、兄はそんな両親の目を盗んでウニに暴力を振るう。ウニは自分に無関心な大人たちに囲まれ、孤独な思いを抱えていた。ある日、ウニが通う漢文塾に、不思議な雰囲気の女性教師ヨンジがやって来る。自分の話に耳を傾けてくれる彼女に、ウニは心を開いていくが……。
『はちどり』のあらすじ
1994年の韓国。
勉強より絵を書くことが好きな14歳の少女ウニは、学校に馴染めずにいる。
家業に忙しい両親は教育熱心だが、受験を控えた兄にばかり関心を持っているように感じており、ウニは家でも孤独だった。
さらに兄からは親の目を盗んで理不尽な暴力を受けていた。
そんなある日ウニが通う塾に、どこか影のある教師ヨンジがやってきた。
周囲の大人と違い自分の話を聞いてくれるヨンジに心を開いていくウニ。
ヨンジの言葉を胸に、家族、友達、彼氏といった周囲の人間の不可思議さ、そして韓国を揺るがすある事件を通してウニは周囲の世界を見つめ直していく。
『はちどり』の監督、キャスト
監督は『はちどり』が長編デビュー作となるキム・ボラ。
学生時代に監督した短編『リコーダーのテスト』で注目を浴びる。
これは『はちどり』の主人公ウニが9歳の時の物語で、『はちどり』は続編にあたる。
『はちどり』は韓国のみならず、世界各国で多数の賞を受賞したがインディーズ作品なので、キャストはまだ無名に近い人が多い。
唯一お父さん役のチョン・インギだけは見たことある気がしたが、マ・ドンソク主演の『犯罪都市』の署長役でほんのちょっとだけ出ていた。
ポン・ジュノの『グエムル−漢江の怪物−』にも出ているらしいけど、見直しても分からなかった。
映画『はちどり』のネタバレ解説&評価
『はちどり』3.0/10うんこ (10うんこ=クソ映画)
触れ合うと人が遠くへ行ってしまう映画
正直『はちどり』というタイトルのセンスが苦手なので、合わないかもなあと思っていた。
世界で最も小さい鳥のひとつでありながら、その羽を1 秒に80 回も羽ばたかせ、 蜜を求めて長く飛び続けるというはちどりは、希望、愛、生命力の象徴とされる。 -公式サイトより
人を動物などに喩える。
ちょっとその考えは安易で陳腐な印象があって、むず痒い感じがして嫌悪感があるのだ。
そんなタイトルを平気で付けるやつは危険だ!
そう身構えていたが、杞憂だった。
『はちどり』は非常にサラッとした感触の嫌味のない作品だった。
最も弱い立場の者から見た男性優位社会の話でもあるから、もっとヒステリックな感じが出てもおかしくないが、重たくなる寸前に切り上げてしまうところが心地よかった。
『はちどり』は台湾映画
『はちどり』を観てすぐ感じたのは非常に台湾映画のような画であることだった。
最初の集合住宅の名もなき感じというか、画一的な絶望感ある画は韓国映画の皮肉っぽさが感じられるが、ウニとボーイフレンドの歩く画はエドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人』を連想してしまった。
それもそのはずでキム・ボラのインタビューによると『はちどり』で最も影響を受けているのは同じエドワード・ヤンの遺作『ヤンヤン 夏の思い出』らしい。
”多感でまだ社会に疲弊していない者を通して世界を見つめる”という映画の構造も確かに似ている。
特に人間の多面的で不可思議なところや、人間関係のすれ違いや不条理などを描いているところは影響を受けているように感じた。
だが内容よりもその画から感じ取れる空気というか色彩感覚が非常に近い気がするのだ。
緑や肌の質感のせいなのかなあ。
『はちどり』はデジタルで『牯嶺街〜』はフィルムだろうから色の出方も違うんだろうけど、すごく透明感があって美しく見える。
ここですごく不思議に思うのは、なんで映っているのが同じアジア人なのに、日本であの色彩の画を撮っても同じような美しい透明感が出ないのかということだ。
是枝裕和監督も黒沢清監督もホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンにはかなり影響を受けたと言っており、特に是枝監督は少年少女をよく撮るし、作風的にもかなり影響を受けていると思われるが、画はどうしても弱い気がしてしまう。
やはり自分が同じ日本人で見慣れた、見知っている光景が映っているというのが、印象に違いをもたらしているのかなあ。
それとも技術力の差なのか。
でも『牯嶺街少年殺人事件』、『ヤンヤン 夏の思い出』、ホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』なんかも自分に記憶の中にある懐かしさを感じる景色もあったりするから更に不思議だ。
『はちどり』の奇跡のような瞬間
美しい緑を印象的にとらえている『はちどり』だが、中でも僕が個人的に感動したのは、ウニが漢文教室の階段でヨンジに抱きつくショットだ。
一度その場を離れたウニが戻ってきてヨンジに抱きつくのだが、その時窓から見える木々がサーといい具合に風で揺れるのだ。
奇跡のようなタイミング。
けっこう長い時間カットを割らずに撮られているので、本当に絶妙なタイミングだ。
さすがにインディーズ作品であの高さの木を人間の力で揺らしているとは思えないから、狙っていたとしたら何テイクも重ねたのかなあ。
撮影の裏話を聞きたくなる。
まあ風で木が揺れたから何だって話だけど、やっぱりああやって目に見える形で何かが動いてくれると映画も何かが動き始めているような予感に包まれて豊かになる気がするのだ。
実際あの場面は今にもいなくなりそうな、存在の不確かさに溢れるヨンジに確かに”触れた”という重要なシーンだったと思う。
ウニが触れると人はどこか遠くへ行ってしまう
感想冒頭に書いたが、これが僕にはとても印象的だった。
ウニがキスをしたり、ハグをしたり、他人と直接触れ合うとその人はウニから離れてしまうのだ。
ボーイフレンドも、後輩も、そしてヨンジも。
物理的、精神的問わず離れてしまっている。
映画において言葉、セリフではない直接的な体の触れ合いによる愛情表現というのは、すごく重要な行為だと思う。
セリフは嘘をつくけど、肉体表現は嘘じゃないと思うから。
だとするとこの結果はウニにとってはあまりに残酷で不条理だ。
ウニが呪われているのか、94年当時の韓国社会が呪われていたのか。
そしてもっと恐ろしいのは、これが人間と人間の接触を許さない現在の世界の予言のようになっていることだ。
人と人が接触すると世界が壊れていく。
まったくコロナなんて想定して作ってないに決まっているが、だからこそ、この一致がなんとも恐ろしい。
そんな理解し難い世界を受け入れ、感じ取ろうとするウニの姿は現代の人間の希望にも受け取れる。
やっぱりどんな時代でもどんな環境でも中2は世界の宝なのかな。
厨二病なんてマイナス感溢れる馬鹿な言葉もあるけど、逆に考えると世界を知った気でいる大人はいろんなことを諦めてるだけだと考えることもできるわけで。
もっと大人より純粋に物事の本質を受け止めているかもしれないのだ。
『はちどり』の泣く男たち
韓国は日本以上に男女の社会的地位に格差があるようで、ウニの周囲も相当ひどい。
儒教の影響なのだろうが、年長者に対する敬意が重要視される社会なので家庭内では父親が絶対的な存在だ。
そしてそこそこ優秀と思われる兄に、ウニの両親は期待を寄せている。
1987年の民主化、ソウルオリンピックを経て経済成長を遂げた1994年の韓国はもう超高学歴社会だったのだろう。
「ソウル大学に入る」と叫ばせるウニの学校の教師の異常行動は実際の話らしいし、家業の餅屋で必死に働く両親は息子に財閥に就職して欲しいに違いない。
そんな期待を一身に受ける唯一の男子である兄は、相当なストレスを感じているのだろう。
それを最も弱い存在である末妹のウニにぶつけるのだ。
そんな強い存在であるはずの男たちが、この映画では人目をはばからず泣く。
ウニもラスト、ヨンジの死、韓国社会の歪みを目の当たりにして泣くが、それまでは何が起きても泣かずに凛としている。
だからこそこの父と兄の涙は非常に異様な光景に映る。
父の涙はそれまでウニには一切関心がないと思っていた父の純粋な愛情の表面化だろうけど、ウニにとっては嬉しさと同時に奇妙で異様なものに映ったと思う。
「知っている人の中で本心まで知っている人間はいるか」
ヨンジの言葉が頭をよぎる。
家族であっても他人は本当に分からない不思議な存在だ。
そんな父親を見つめるウニの表情が印象的だった。
これは流血騒ぎになるほどの夫婦喧嘩をした両親に翌日向けられている視線に近い。
あんな壮絶な喧嘩をしたかと思えば翌日の朝には何事もなかったかのように一緒にテレビを見ている両親の不可思議さ。
誰しも日常感じている、他人のわけの分からなさをただ見つめるウニはちょっと笑えた。
ウニを殴る兄の涙はもっと異様だ。
1994年に実際に起きた聖水大橋崩落事故によって、ウニの姉は命を落としかねないところを寝坊したことにより間一髪逃れた。
その日の食卓で兄は家族みなの前でおいおいと泣き崩れる。
これまで人間らしいところが見えなかった兄にも家族に対する思いがあったのだという、当たり前だがちょっと驚く人間の多面的な描写だ。
だがこの光景の異様さは家族への思いというだけではなんかしっくりこない。
もっとゾクッとする感じがある。
勝手な僕の解釈だが、兄の涙は、橋が崩壊し噴出した韓国社会の痛みなんだと思う。
最も弱い立場にいて最も苦い思いをしているのはウニのような子供でも大人でもない少女なのかもしれないが、兄もまた急速に経済成長を遂げ発展に急ぎすぎた韓国社会の犠牲者に見える。
その象徴である聖水大橋が崩れ歪みが露呈し、兄も感情が表出したのだ。
当時の韓国の人々の溜め込んだあらゆる感情が詰まっているような印象的な涙だった。
『はちどり』の冒頭とラスト
母の愛情の枯渇を思わせる、ウニの悪夢のような勘違いから映画は始まる。
そして玄関からゆっくりカメラが引いていくと、そこはものすごい規模の集合住宅であることがわかる。
全く同じ扉がいくつも映されるこのオープニングのショットはじっとりして嫌な感じがする。
この物語が誰にでも起こりえる普遍的な話だという宣言と共に、抜け出せない迷宮にいるような、ウニの混乱した現状を感じさせるオープニングだ。
そしてラストは同級生たちの中で、一人ウニが佇むショットで終わる。
家族、ボーイフレンド、友達、後輩、そしてヨンジとの出会い、別れを通してウニは世界の見方が少し変わったのだと思う。
世界は不条理で理解し難いことだらけだけど、自分を理解してくれる人も存在している。
静かに周りを観察するウニの姿とその表情からは、そんな世界をそっと受け入れ吸収してしまっているかのような強さと幸福にも似た柔らかさが感じられる。
迷宮からは一歩抜け出せたような晴れやかな空気がそこには流れている。
世界は冒頭からなにも変わっていない。
不条理で理由がわからないことだらけ。
でももうウニなら大丈夫かもしれないと感じられるラストだった。
おわりに
『はちどり』は鑑賞後「面白かったー」となるタイプの作品ではない。
サスペンスやスペクタクルがあるわけでもないので、むしろ何も感じなかったり、つまらないと思う人もいるだろう。
僕も決して「めちゃくちゃ良かったー」とはならなかったが、不思議と幸福感があった。
なのですぐにもう一回観てしまった。
何一つ断定することのないドライな描写が心地よいのかもしれない。
またその空気を感じたくて、息を吸うように何度か観ることになりそうな作品だ。
おわり