みなさんは自分を犠牲にして誰かのために行動したことあります???
僕はまったくないですね。
そう、クズなんです。
まあでも誰しも自分を犠牲にするってのは勇気がいりますよね、血の繋がった関係でもなかなか出来ない。クズな僕は一生できないかもしれない。
だからだと思いますが、アウトローが誰かのために自分を危険に晒して行動する!みたいな映画に惹かれます。
今回はそんな主人公をニコラス・ケイジが演じた『グランド・ジョー』を紹介します。
多分名前すら聞いたことない方も多いと思います。僕も公開映画情報けっこう見ているんですが、Amazon Prime Videoで見つけるまで知りませんでした。
映画『グランド・ジョー』とは?(まだネタバレなし)
作品データはこんなかんじ
作品データ
原題 Joe
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 カルチュア・パブリッシャーズ
上映時間 117分
映倫区分 R15+スタッフ
監督
デビッド・ゴードン・グリーン
製作
リサ・マスカット
デビッド・ゴードン・グリーン
クリストファー・ウッドロウ
デリック・ツェン
製作総指揮
モリー・コナーズ
マリア・セストーン
サラ・ジョンソン・リードリヒ
ホイト・デビッド・モーガン
ブラッド・クーリッジ
メリッサ・クーリッジ
トッド・ラバロウスキ
ダニー・マクブライド
ジョディ・ヒル
原作
ラリー・ブラウン
脚本
ゲイリー・ホーキンズ
撮影
ティム・オアー
美術
クリス・スペルマン
衣装
ジル・ニューウェル
カレン・マレッキー
編集
コリン・パットン
音楽
デビッド・ウィンゴ
ジェフ・マキルウェインキャスト
ニコラス・ケイジ/ジョー
タイ・シェリダン/ゲイリー
ゲイリー・プールター/ウェイド
ロニー・ジーン・ブレビンズ/ウィリー
『グランド・ジョー』のあらすじ(まだネタバレなし)
舞台はアメリカ南部の貧しい田舎町。
普段は穏やかながらも何やら影のある中年男性ジョーは、毒で木を枯らすという重労働の現場監督をして真面目に慎ましく暮らしていた。
ある日ジョーのもとで貧しい少年ゲイリーが働くことになる。
ゲイリーの歳の離れた父ウェイドは酒に溺れ仕事もせず家族に暴力をふるう多分僕以上のクズ。稼いだ金もウェイドに殴られた上、強奪さられてしまう始末。
だが何があってもひたむきに働き、前を向くゲイリーにジョーも心を開いていく。
しかしジョーが過去に揉めた男の行動を機に、ジョーの過去そしてゲイリーの父ウェイドが2人に影を落としていく…
てな感じ。
『グランド・ジョー』のスタッフ、キャスト
監督はデビッド・ゴードン・グリーン。
『スモーキング・ハイ』(2008)のヒットで知られ、ジョン・カーペンターの傑作『ハロウィン』(1978)の久しぶりの続編の監督を務めています。この監督の作品は観たことなかったんですけど、今作が良かったので他作品も観てみたいと思うようになりました。ちょっとだけ。
また主演のジョー役はご存知ニコラス・ケイジ。
僕の中でニコラス・ケイジといえば『赤ちゃん泥棒』(1987)、『ワイルド・アット・ハート』(1990)、『リービング・ラスベガス』(1995)などですが、最近はB級アクションの帝王といった印象です。
いつからかニコラス・ケイジ主演=ばかくさい映画という印象が強くなってしまって、今作を観て反省しております。
多分『バンコック・デンジャラス』(2007)、『ドライブ・アングリー』(2010)のせいです。
このあたりはくそつまらなかったです。
まあ他の作品と演技が違うのかといえば、そうでもない気がしますが、ジョーという男の複雑な内面を抑えた演技でうまく表現していたと思います、説得力がありました。
そして貧しい少年ゲイリー役はタイ・シェリダン。スティーブン・スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』(2018)の主演に抜擢され、すっかり有名になりました。
正直ぱっと見は嫌な顔してます。
意地悪そうな顔に見えるんです。
決してハンサムではないし。完全に個人的な意見ですけど。
でもそんな個人的には嫌いな顔タイ・シェリダンですが今作を観ているうちにどんどん応援したくなるんです。
この切ない境遇を生きるゲイリーという役にぴったりな何とも言えない表情をするんですよ。
子供特有のまだ幼い感じと、思春期特有の生意気な感じ、そして誰か守ってあげてくれーと思わせる切ない感じが混じった顔です。
このおかげでどんどんジョーとゲイリーを応援したくなります。
いつもは人の不幸ばかり望んでいる僕ですら、幸せになってくれーと。
あ、あとこの作品で第70回ベネチア国際映画祭で新人俳優賞を受賞したらしいです。実は観た理由がヴェネチア受賞だったんで、てっきり作品かニコラス・ケイジかと思ってたら、鑑賞後この事実を知りまして、こいつかーい!てなりました。
『グランド・ジョー』のみどころ
本作の核となるみどころは
過去に罪を背負い思ったように生きられない中年男性と同じように社会で苦しむ未来ある少年の交流、そしてその出会いの行き着く果ては…!
といったところでしょう。
頑固おやじと無垢な少年が擬似親子的な関係を築くパターンの映画は名作になりやすい王道パターンだと思います。
舞台がアメリカ南部の田舎(はっきりどこかは明言されてない)という保守的で貧困が社会問題とされる土地なので、実際ほんとにそんな感じなのかはわかりませんが、映画を観てすぐものすごい閉塞感と息苦しさを感じます。絶対住みたくないです。
そしてほとんどポジティブな出来事が起きないんです。
不幸な15歳選手権やったらけっこう上位にいけそうなゲイリーをとにかく応援したくなります。
主人公であるジョーもゲイリーをどうにかしてやりたいけど、最初は自分のことも色々考え、なかなか行動にうつせません。
ジョーもまた自身の持つある一面に悩み、それが原因で思ったように生きることが出来ていないからです。
そんなジョーがゲイリーのためにどんな決断をし、どうこの世界に決着をつけるのか、これが一番の見所ですね。
あとゲイリーがひどい貧困に陥っている1番の原因は、ものすごく歳の離れた父親ウェイドなわけです。
この歳が離れてる感じも明言こそされていませんが、訳ありそうな感じもするんです。
で、こいつがまあびっくりするくらいクズクズ親父なんですが、このアメリカ南部には本当にこんな奴いそうだなあという説得力がすごいんです。すごく自然なんですよ。
それもそのはずで演じているゲイリー・ポールターはプロの俳優ではなく、スタッフが現地でスカウトしたホームレスらしいんです。
そして映画公開前にはホームレスに戻っていた彼は溺死体で発見されるという。
なんとも悲しい話です。
あんなすごい素質があるのにホームレスとして亡くなるなんて…この逸話を含めて色々考えさせられる映画です。
またオープニングショットとエンディングショットの共通性とそこで描かれていることの対比も見逃さず観てください。
気づきにくいところでもありますが、ここを気にして観るだけで映画としての満足度、感動具合がけっこう違ってくると思います。
オープニングとエンディングの関連付けはよく用いられる手法なんですけど、気づいた観客をハッとさせられるし、テーマも表現しやすくて上手く使われていると大変好きな手法です。
てことでまとめ
・ニコラス・ケイジがはじめから好き。もしくは微妙な俳優だとレッテルを貼ってしまっている人。
・『レディ・プレーヤー 1』でタイ・シェリダンのファンになった人
・不器用なアウトロー中年男性が誰かのために行動するタイプの映画が好きな人
・オープニングとエンディングを関連させる手法が好きな人
映画『グランド・ジョー』を観る
『グランド・ジョー』の評価(ここからネタバレあり)
うんこ度(この映画ではどのくらいつまらないかで評価しています)
3.5 /10 ほどよい硬さのうんこ
観るまで全然知らない作品でしたが期待値が低かった分すごく楽しめました。
演出でバカなことをニコラス・ケイジにさせないので(ちょっとありますが)、ニコラス・ケイジという男の持つ雰囲気が良い方に全面に出てて非常に良かったですね。ニコラス・ケイジ自身も役作りとして無駄を削ぎ落とすことを中心におこなったらしく、何もしないことが功を奏しましたね。
アメリカ南部のこと
アメリカ南部は今でも白人至上主義を掲げる保守的で差別的な文化が残っているそうです。そして産業の近代化などが遅れ時代に取り残され深刻な貧困に陥りました。南北戦争の影響ですよね。
本作で描かれているアメリカ南部の田舎町が現在でも本当にあんな感じなのかは謎ですが、町自体が時代に取り残されて貧しいというのが伝わってきて、とにかく息苦しいんです。出てくる人間もみな少し野蛮な感じといいますか、ホラー映画に出てきそうな、何してくるか分からない雰囲気を持ってて、ちょっと近寄りたくないんです。
歯抜けてて、クスリやってそうな感じ。
ちょっと迷い込んだら家からチェーンソー持ったレザーマスクが出てきそうです。
まあこれは多分偏見で日本だってほんとに田舎のさびれたところに行くとそんなことを感じるんですが…
でそこで繰り広げられるゲイリーの私生活は貧しさ、悲惨さ全開なんです。
普段そういう貧しさや環境の悲惨さをモロに見せつけてくる映画は、疲れるしほんとにゲンナリしちゃうんであんまり得意ではないんです。
特にヨーロッパ系の映画に多いですね。
ドキュメンタリーのようにあえて手持ちでブレを演出するやつ。呪いのように私達に現実を押し付けてきますから。
でもこの映画は全然嫌にならず観れました。
アメリカの乾いた景色が好きということやドキュメンタリーぽく撮られていないおかげだと思いますが、その他にもウェイドのクズっぷりや容姿がなんか良いんですよねえ。
もうほんと救いようがないし、イライラもするからはっきり言って嫌いなんですけど、でもなぜか観ていたくなる不思議なキャラでした。
類は友を呼ぶのかなあ…
南部のカオスの巣窟ピンクの館
この映画って先述したよう日本に住む僕なんかからすると汚らしいというか、うわーと思う要素が多いんですけど、中でもジョーが足繁く通う売春宿はものすごい嫌でした。
実は南部の闇はあそこに集約されているんじゃないかというくらい気持ち悪かったです。
ジョーがそこの女主人みたいなのと熱いキスを交わすんですが、うえっっっっです。
なんですか、あの気持ち悪さは。
そしてよく分からないとにかく吠える犬と絶対クスリやってる女。
あの空間だけ異様にカオスに設計されていてジョーの闇を表しているのかもしれませんが、危うくジョーまで嫌いになるところでした。
ジョーとゲイリー、そしてウェイドが象徴するもの
ジョーは普段は穏やかで周囲への面倒見もいい人間として描かれていますが、その半面ものすごい暴力的な人間なんですね。
そこまで沸点は低くはないみたいですが、ぷっつんしちゃうと自分でも自分を抑えるのが大変な人間。
ジョーは至極真っ当に生きたいのに、この性分が邪魔をします。
最初の逮捕も相手の警察官の勘違い(?)で絡まれて爆発しちゃったんですよね。
今でも顔に傷ある気持ち悪い男にずっと絡まれたり、警察にうるさく付け回されたりする度に爆発しちゃいます。
まあ飲酒運転したり、ナンバープレート付けないジョーも悪いんですが…でも普通に生きたいのに自分の中の抑えきれない暴力性や周囲の圧力がそうさせないので、非常に苦しんでいるんですね。
でも何とかしたいとは思っている。
これはジョーがこの南部の現状を象徴した存在ということですね。
またジョーは森林を伐採する林業の仕事ではなく、森林に毒を仕込み枯らすというなんともキナ臭い仕事で生きています。
これは現実に問題になった違法な仕事らしいです。
そして完全な肉体労働なので、ジョーはレッドネックとして描かれているんです。
レッドネックというのはアメリカ南部などで肉体労働に従事する保守的な貧困白人層のことを指すそうです。
でもジョーは監督ですし、違法な仕事ということでそこそこお金はありそうなんですよね。
それは置いとくとして、つまりこの映画でジョーは典型的な南部の田舎を象徴するような一面も持っているということです。
そしてウェイドは保守的で暴力的で貧困に苦しむ、時代に取り残された南部を象徴するような存在として描かれています。
労働すら拒否し貧困に苦しみ、酒のために簡単に黒人の命を奪い暴言も吐く。
まさに古くから続く南部の暗部を凝縮したような存在です。
最後にゲイリーはそんな南部の未来を体現させた存在ですね。ジョーも言ってましたけど、これからの行動次第でどんな存在にでもなる無垢な存在です。
まとめるとアメリカ南部の過去、現在、未来をウェイド、ジョー、ゲイリーが体現しているんだと思います。
オープニングとエンディングの意味
まずオープニングはゲイリーの肩越しにウェイドの横顔が続くショット。
ゲイリーがずっと喋った後、ウェイドがゲイリーをブン殴り、そのまま丘を登ったところで誰かに今度はウェイドがボコボコにされるという鬱展開なシーン。
これがワンカットで撮られているんですが、これが非常に良かったです。
ゲイリーの置かれた悲惨な状況やこの土地自体の危うさみたいなものがよく表れたショットだと思いました。
遠くでウェイドがボコボコに殴られるところはこの土地に根付く暴力性や暗部を覗き観てしまったーーーて感じがして興奮しました。
多分このオープニングがあったからすごく観る気が増したと思います。
そしてそれに対応していたのがラストシーンですね。
オープニングと全く同じ構図で今度はゲイリーの横顔が映されます。
そしてオープニングのウェイドボコボコシーンの対となる部分では苗木をする労働者たちが映されるんです。
なんと感動的なショットでしょうか。
正直ショット自体の美しさ(構図や色合いなど)はもっと何とかならなかったのかと思っちゃいますが、オープニングと対比させることで素晴らしい意味を持ったショットとなるんですね。
南部の未来に一筋の光が指したようなラスト。
ゲイリーがオープニングのウェイドと重なるんでやはり未来も不穏なのかと思わせて、次のパンによる広い画で一気に希望へと開放させる。
なかなか憎い演出です。
こういう映画的な手法を観るとニコニコしちゃいますね。
ラスト、ジョーがとった行動
ジョーの仕事を木を毒で枯らすことにしたのは、多分最後ゲイリーが苗木をすることへの布石ですよね。
ジョーが古い木を枯らして(古い南部を殺す)作った土台に、ゲイリーが苗木をする(新しい南部を築く)という希望ある未来を予感させる結末。
でも一番重要なジョーがしたことはもちろん、古い悪習のように残ってしまったウェイドや顔に傷のある男、ひいては自分をも世界から排除したことですね。
ジョーはその暴力的になってしまう一面のせいで、他人に関わることでどんどん面倒なことになってきた経験があるんだと思います。
他人に深入りするとろくな事にならない。
だから初めはゲイリーの現状にも目をつぶる。
でもゲイリーと関わっていくに連れ、自分もゲイリーもこれじゃあダメだとはっきり認識するようになる。
そしてゲイリーの妹拉致を引き金に、自分の暴力性を利用し、全ての悪しき南部の現状を精算するんです。
実際に始末したのは顔に傷ある男とその仲間だけで、ウェイドは自ら橋から飛び降ります。
これもウェイドはあの時ようやく我に返ったんだと思います。
自分の存在が全てを壊しているという認識。
それをようやく悟って自ら世界から去る。
これも少し希望ある終わり方だと思いました。
まあ因果応報、当然といえば当然なんですが、やっぱりあのホームレス俳優ゲイリー・ポールターの風貌が良いんでしょうね、少し悲しくなりました。
そしてジョーは腹を撃たれたことで全てに決着をつけた後、静かに息を引き取ります。
僕の勝手な意見を言うと、多分ジョーは自らの存在にも決着をつけるつもりだったと思うんです。
撃たれる撃たれないに関わらず。もうどうすることも出来ない自分の中の衝動ごと自分をこの世から消すつもりだったんじゃないかと。
ベタに最後ゲイリーが倒れるジョーに寄り添うわけですが普通に泣きそうになりました。
それだけこの映画に入り込んでいたんだなあと自分でもびっくりしましたが。
これもベタなんですけど、運命の分かれ道になる舞台が橋というのがいいですよね。
橋の片側は現世、もう片側はあの世みたいな空間設計。
実際ラスト、ゲイリーと妹以外みな橋を渡ることができなかったわけです。
妄想!ウェイドの所業
ウェイドとゲイリーは親子というより、祖父と孫みたいに見えます。
これはよく言われる田舎ならではのやることないからできちゃったみたいなネタ的な捉え方も出来ますし、もっと深読みするとゲイリーのお母さん=ウェイドの娘という説も考えられますよね。
あー怖い。
やっぱり闇を感じますよ、勝手な想像ですけど。
それにラスト、顔に傷ある男がゲイリーの妹から股を広げたんだみたいなこと言ってますよね。
これはもちろん嘘をついたと捉えることが出来ますが、もし本当だったとしたら本当に恐ろしいですよね。
つまりもっと前からそういった斡旋があったと考えることができるからです。
妹はある時から急に喋れなくなったとゲイリーが言ってます。
DVが原因とも考えられますが、もっと恐ろしいことが契機になったんじゃないかと…
だから妹は生き残るために自分から体を差し出した。
そう考えたら本当に恐ろしいですよね。
でもあの鬼畜親父ウェイドならやりかねない。
そんな闇を感じさせる、僕の勝手な想像でした。
おわりに
中年おっさんが自らを犠牲にして、少年ひいては南部全体の未来を守ろうとする姿はやっぱり画として良いものがあります。
ピンクの館のせいで危うくジョーを嫌いになるところでしたが、ギリギリのところでニコラス・ケイジの存在感が引き戻してくれました。
まあ個人的には本当はジョーにはもっと悪いやつ大処分大会を開催して欲しいところでしたが、違う映画になってしまったかもしれないので、これで良かったんだと自分を納得させています。
そうですよね、やりすぎたらいつものB級ニコラス・ケイジアクション映画になってしまいますもんね。
完