映画『ノーカントリー』分かりづらいところを解説!ネタバレ感想&評価
(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

 

 

あれは忘れもしない2008年

 

大学生だった僕は友人とある1本の映画を観に行くことにした。

なんで観に行ったのかまったく覚えていないが、そこまで映画好きな友人ではなかったことを考えると、おそらくその年の米アカデミー賞で話題になっていたからなんだと思う。

 

そしてそこで僕は人生を変えるほどの衝撃を受けたのだ。

まさに、まさに雷に打たれたのです!

 

と、まあ胡散臭い宗教の勧誘みたいだが、しばらく放心状態で映画館の席から動くのを忘れた。

友人もすぐに話しかけてこなかったが、そっちは単純に疲れたorパルプンテ状態だった のどちらかだろう。

とにかくその後この友人と『ノーカントリー』の話をすることはなかったのだから…

 

生きてますからねー

 

子供の頃から映画はアクションを中心にけっこう観ていたが、今ほど色々考えて観てはいなかった。

それでも大学時代の2007年くらいには特権意識で鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(1980)を観て、"映画とはストーリーを追いかけて楽しむだけのものではない"と体感はしていた。

そして更に今回紹介する映画を通して、人にはストーリーなど全くなくてもただ画面を観続けるだけで気持ちがいい映画というのがあることを知った。

 

それが今日紹介する『ノーカントリー』(2008)。

監督のコーエン兄弟作品の中でも最も評価の高い作品である。

ちなみに『ノーカントリー』はちゃんとストーリーがある映画なのでご安心を。

 

 

映画『ノーカントリー』とは(ネタバレなし)

作品データはこんな感じ

作品データ

原題 No Country for Old Men
製作年 2007年
製作国 アメリカ
配給 パラマウント、ショウゲート
上映時間 122分

スタッフ
監督 ジョエル・コーエン
イーサン・コーエン
製作 スコット・ルーディン
イーサン・コーエン
ジョエル・コーエン
製作総指揮
ロバート・グラフ
マーク・ロイバル
原作 コーマック・マッカーシー
脚本 ジョエル・コーエン
イーサン・コーエン
衣装 メアリー・ゾフレス
撮影 ロジャー・ディーキンス
美術 ジェス・ゴンコール
編集 ジョエル・コーエン
イーサン・コーエン
音楽 カーター・バーウェル

キャスト
トミー・リー・ジョーンズ
ハビエル・バルデム
ジョシュ・ブローリン
ウッディ・ハレルソン
ケリー・マクドナルド
ギャレット・ディラハント

解説
第80回アカデミー賞において、作品、監督、脚色、助演男優の4部門で受賞した犯罪ドラマ。1980年の米テキサスを舞台に、麻薬密売人の銃撃戦があった場所に残されていた大金を盗んだベトナム帰還兵(ブローリン)と殺し屋(バルデム)の追跡劇、そして2人を追う老保安官(ジョーンズ)の複雑な心情が描かれる。原作はピュリッツァー賞作家コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」(扶桑社刊)。監督・脚色は「ファーゴ」(96)、「ビッグ・リボウスキ」(98)のジョエル&イーサン・コーエン。

『ノーカントリー』監督 コーエン兄弟とは

監督はジョエル・コーエンとイーサン・コーエン。

個人名よりコーエン兄弟として有名。

現代アメリカ人監督の中でも最も国際的評価の高い1人(2人)。

過去の作品だと監督兄ジョエル、製作弟イーサンとなっている作品もあるが、アメリカの映画協会の表記上のルールによるもので、ほぼ全ての作品を2人で監督、脚本、編集、製作している。

 

本当に不思議である。

頭が2つあったら意見なんてまとまりそうもない。

しかも男兄弟。

肉親だからこそ、もっと揉めてもおかしくない。

それがこの2人のすごいところで意見の対立自体あまりないらしい。

あっても普通に話し合いで解決。

単純に1人よりは心強いだろうが、なんとも奇跡的な兄弟である。

 

コーエン兄弟で他におすすめなのはまずは『ファーゴ』(1996)。

これは紛れもなく傑作。

こちらもかなり評価は高く、2014年からはテレビドラマ化されたことでも有名。

『ファーゴ』も本当に好きで、何度も観ている。

これも『ノーカントリー』と同じく、静かな田舎で繰り広げられる悲喜劇だが、こちらは舞台が乾いた砂地ではなく美しい雪景色。

そこで繰り広げられるのは惨劇なのだが、なぜかくすくす笑える。

おそらく一般的には『ファーゴ』がコーエン兄弟の最高傑作とされている。

 

その他には『ブラッド・シンプル』(1984)、『ミラーズ・クロッシング』(1990)、『バートン・フィンク』(1991)、『ビッグ・リボウスキ』(1998)、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2014)などなど。

『バートン・フィンク』は世界で最も有名な映画祭カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドール(是枝裕和『万引き家族』、ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』が受賞した賞)を受賞している。

 

コーエン兄弟の作風がものすごく大雑把にいうと2種類に分けられる。

まず『ファーゴ』、『ノーカントリー』のような、基本シリアスなんだけど合間合間でとぼけた乾いたユーモアが展開されるもの。

もう一つはその逆で『ビッグ・リボウスキ』のような基本お馬鹿なコメディなんだけど、合間合間でドキッとするブラックなシリアス展開が待っているもの。

スーパー雑な分け方だが、ほんとにそうなのである。

「シリアス展開だけど、これはなんか可笑しいぞ。でもこの展開で本当に笑って良いのか?」みたいなクスクス笑いが多い。

すげー頭いいやつが斜め上からの目線で撮ったお馬鹿なコメディ映画という感じのものが多くて、たまに嫌味な感じもする。

映画『ノーカントリー』のあらすじ(ネタバレなし)

超ざっくりなあらすじとしては

 

舞台は80年代アメリカ、テキサス。

狩りをしていたベトナム帰還兵モス(ジョシュ・ブローリン:今作で世界的にかなり有名になる。『インヒアレント・ヴァイス』(2014)や『ボーダーライン』(2016)などでクセの強い役を演じている。どちらもかなりオススメ。)は偶然、人間が討ち合った現場に遭遇する。

それはアメリカ犯罪組織とメキシコ犯罪組織によるヘロイン取引現場の成れの果てだった。

死体が横たわる中、水を欲しがる唯一の生き残ったメキシコ人を無視し、現場から少し離れた場所にあった大金を持ち逃げするモス。

トレーラーハウスで嫁と2人、裕福ではない暮らしをするモスは、金の持ち逃げは危ないと分かっていながらも、その大金に人生をかけることにしたのだった。

 

しかし無視した瀕死のメキシコ人が気になって眠れないモスは、水を持って現場に戻ってしまう。

そこで姿を目撃されたモスは、メキシコ犯罪組織、アメリカ犯罪組織が雇った殺し屋シガー(ハビエル・バルデム:『BIUTIFUL ビューティフル』なんかが有名だが、『007 スカイフォール』(2012)でも最凶の悪役シルヴァ役でいい味だしている)から追われることになる。

すぐに家に隠した金を持って逃走を開始するモス。

 

翌朝ベテラン保安官のベル(トミー・リー・ジョーンズ:日本では缶コーヒー「BOSS」のCMでお馴染み)はヘロイン取引現場から、旧知の存在であるモスが事件に巻き込まれている可能性が高いと判断する。

そしてモスの身を案じたベルは、モスとそれを追う正体不明の殺し屋シガーを追い始める。

 

モスを追うシガー、更にその2人を追うベル。

モスは金を持って逃げ切ることができるのか?

シガーはモスを仕留めることができるのか?

そしてベルはシガーからモスを救うことができるのか?

交わる三者の運命はいかに…

 

といった感じ。

 

 

映画『ノーカントリー』のすごいところ、魅力

画面そのものの気持ちよさ

まずはなんと言っても圧倒的な画の力。

僕はその画の力に魅せられもう50回くらいは観ている。

なにも考えず、画を観ているだけで気持ちいい。

テキサスの乾いた空気が体感レベルで感じられる圧倒的なショットの力。

冒頭にトミー・リー・ジョーンズのナレーションと共に流れるテキサスの何気ない景色だけでもう最高。

 

なにがそう感じさせるのかはもう感覚的なものだから、なかなか言葉で説明するのは難しいのだが、構図のバランスの良さはもちろん、色合い、重厚感がそう感じさせるのだろう。

特に僕が感じる重厚感の要因の1つはおそらく単純で、全く白飛びを許さないこと。

炎天下の日中であっても白っぽくさせていない。

これはプロなら当たり前のことなんだけど、実際やってみると映画用カメラであってもなかなか難しいこと。

なぜなら太陽光は肉眼からは考えられないくらい、カメラにとっては強い光だから。

現場で光を作ることはもちろん、消すこともしなければならない。

画を完璧にコントロールした撮影監督ロジャー・ディーキンスとスタッフ全員の努力の賜物だ。

 

あと多分こんなに画面に力があるのは、メインの登場人物3人が激渋オヤジたちだからなんだと思う。

なんかおっさんが出てると映画の画面は安定感がグッと上がる気がしてならない。

もちろん美女も大切な要素なのだが、僕はおっさんが出てるほうが観たくなってしまう…

 

トミー・リー・ジョーンズのしわ

ハビエル・バルデムの鼻穴

ジョシュ・ブローリンのヒゲ

 

激渋オヤジが西部劇のような雰囲気残るテキサスで画面を静かに駆け回る。

加齢臭で窒息しそうだがこれだけで映画は最高なのだ。

『ノーカントリー』モス役ジョシュ・ブローリン

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静かな殺し屋シガー

この映画が語られる時まず最初に話題に出てくるのが圧倒的な存在感である殺し屋シガー。

映画『ノーカントリー』アントン・シガー ハビエル・バルデム

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……。

気持ち悪い。

とにかく異様。

ズラのような七三のおかっぱが、禍々しい。

隣人がこんな奴だったら危ない。

引っ越したほうがいい。

これで殺し屋というんだからギャグすれすれ。

日本人なら間違いなくコントになっていただろう。

ちなみにこの容姿は原作に書かれていないらしく、コーエン兄弟が決めたとか。

 

そしてこいつには武器が2種類あるのだが、これがまた見たことない。

まず音がすごく良くて、気持ちいい。

 

ということで映画史上最も変な髪形で変な武器を使う殺し屋だろう

シガーは映画の冒頭からほんとすごいので殺し方を含めて、観てない人にはまず観てほしい。

このシガーという存在だけでも見る価値あり。

こいつの殺し方はもちろんだが、終盤シガー自身にも驚くべきことが起こる。

静と動

先に、スリリングなアクション映画を思わせるあらすじを書いた。

しかし基本的にこの映画は静かである

テキサスの風景の中で静かに暮す住人たちの様子はむしろのどかなくらい。

特にベル保安官の場面で流れる時間は穏やか。

 

更に唯一の派手そうな場面、逃げるモス、追うシガーの攻防。

このスリリングそうな逃走劇の大部分ですら静かである。

 

だがこのモス、シガーが絡んでくる場面は漂う緊張感はすさまじい。

コーエン兄弟は観客の心の静と動をコントロールしている。

コーエン兄弟はその他の作品ではけっこう派手なカメラワークを好んで使うが、今作では派手なカメラワークはもちろん、うるさい演出は一切しない。

なのに、いやだからこそ漂う緊張感が半端ない。

力のない制作陣がそんなことをすると映画は途端に退屈になるだろう。

しかし逆にこの映画ではその何もしないことで、緊張感を研ぎ澄ましている。

紹介まとめ

ということでアホなことしか書いてないが、言いたいことはただ一つ。

すごいから観てない人は観て!

 

ほんとそれだけ

では次からはネタバレありの感想を。

    映画『ノーカントリー』の感想と解説(ここからネタバレあり!

    『ノーカントリー』0.5/10 (10.0=クソ映画)
    日常生活でおかっぱ頭の男に遭遇したら、ペコペコしてしまう映画

     

    ほぼ満点。

    見た目が地味だからってそいつに嫌なことすると殺されるぞ!って映画。

    映画『ノーカントリー』の結末までのストーリーネタバレ

    では前半の続きから。ざっくりと。

     

    逃走を開始したモスだが、実は金の中には発信機が付けられていてシガーにどんどん追い詰められていく。

    モスは腹に傷を追いながらも、なんとかシガーの足にも傷を負わせ逃げることに成功。

    出血でふらふらになりながら国境付近に金を隠しメキシコに逃げるモス。

     

    病院で目覚めるとアメリカ側の組織が雇った別の殺し屋カーソン・ウェルズが現れる。

    金を渡せばモスを守ってやるというウェルズだが、そんなウェルズもあっさりシガーに殺される。

    更にシガーはウェルズを雇った、自らの雇い主をもあっさり殺害。

     

    回復したモスはシガーで電話で会話。

    「金を渡せば妻だけは助けてやる」というシガーだが、逃げ切る自信のあったモスはそれを断り更に逃走をはかる。

     

    一方ベルは「モスが本当に危険なんだ」と妻を説得し居場所を聞き出す。

    モスの元に向かうベル。

     

    しかし時すでに遅し。

    モスは既に殺されていた。

    その夜現場に戻ったベルは、金の回収に来ていたシガーとニアミスするのだった(?)

    理解できない事件に保安官を引退することを決意するベル。

     

    一方シガーは約束通りモスの妻を殺害後、車を運転中に信号無視してきた車に突っ込まれ重症を負う。

     

    そしてベルは妻に自分の見た2つの夢の話をして静かに映画は終わりをむかえる。

    映画『ノーカントリー』は何を描いた映画なのか???

    この映画を見たはじめの感想は、その映像、描写に圧倒されながらも

    ……

    ………

    …………???

    面白かったが、なんか変だったぞ。

     

    こんな感じだった。

    おそらく面白い面白くないに関わらず、この違和感は観た人全員が感じるのではないだろうか。

     

    そしてこの違和感こそがこの映画の根幹であり、魅力だと思う。

     

    まずやっぱり観てて一番ビックリしたのはモスがいきなり死んでいたこと

    「おい、あれだけ感情移入させといて殺されるとこすら見せてくれないのかよ」

    と突っ込んだ人多数だろう。

     

    モスはこの映画の中でただの泥棒だが、家族がいるしメキシコ人に水をあげに行くという人間としての情も持ち合わせている。

    この映画の主人公はベルなんだろうが、出番が少ないからどうしても終盤まで一番登場時間が長いモスに観客は感情移入してしまう。

    そんなモスがなんの前触れもなく突然殺されている。

    しかもいきなり死体。

    これは普通の映画からすれば異常だ。

    殺されたとしてももうちょっとそのことをクローズアップして引きずりそうなもんだ。

     

    その他には

    ・モス以外も殺されるほぼ全員が一瞬で突然殺される。なのにコイントスの結果助かる人もいる。

    ・そんな人殺しまくりの超人のようなシガーがめちゃくちゃ怪我する。そしてその怪我の様子がやたら詳しく描写される。

    ・ベルとシガーが対峙することなく、ベルの夢の話で突然映画が終わる。

    あたりが引っかかる展開。

     

    この映画全編に漂う違和感、やるせなさ、物悲しさこそコーエン兄弟が示そうとしたものだと思う。

    コーエン兄弟自身が言っているのだが、シガーというのは世界の不条理、暴力そのものなのである

    だから突然なんの前触れも理由もなく人を殺す。

    でもコイントスの結果次第では、つまり運次第では殺さない。

    シガー自身にはコイントスの結果のように何らかのルールがあるのだが、他人からすれば全く分からない。

    これは災害などにも言い換えられる。

    突然降りかかる暴力、不幸。

    だからその感覚を強調するために、あんなに主人公のように引っ張ったモスの死という結果だけを提示する演出をしたのだと思う。

     

    そしてそんな世界の死をコントロールしていると思われていた死神のようなシガーにも平等に暴力は降りかかる。

    シガーもまた世界の一部だから。

    それを強調したくて怪我の様子をしつこく描いたのだと思う。

    面白いのはシガーはちゃんと青信号を守っているにも関わらず事故に巻き込まれるというところ。

    つまり映画に描かれていたのは、私達が生きている世界に渦巻く不条理な暴力、死の様子。

    どんな状態の人間にも平等に突然不幸が降りかかるのが現実である。

     

    そんな世界に何も出来ず無力感を感じ見つめる老人。

    現実はきまぐれで無慈悲だとコーエン兄弟は言っている

    そんなコーエン兄弟のちょっと皮肉な死生観がこの映画のテーマだと思う。

     

    この映画を観て違和感を感じたということは、コーエン兄弟の意図どおりに映画を観たってことではないだろうか。

     

     

    シガーの暴れっぷりと怪我っぷり

    作中、気まぐれに無秩序に人を殺し回る(シガーの中ではルールがある)がその殺しっぷりが最高。

    殺しっぷりが最高なんてサイコパスみたいだが、やっぱり最高なものは最高。

    暴力は映画という視覚的なメディアとは切っても切り離せない要素なのだから。

    冒頭の首絞め

    まず冒頭の保安官殺しで我々にこいつはヤバイという強烈な印象を残す。

    保安官が電話している後ろで、手錠を静かにゴソゴソ前に回し近付いてきて首を締めるのが1カットでおさめられているのが素晴らしい。

    これにより恐怖、緊張感が倍増する。

     

    そして首を締めている時の顔がなんともいえない

    目ん玉飛び出そうなちょっと笑っちゃいそうな顔

    演出次第ではあっさりコメディに流れてしまいそうなところだが、そんなことはなく恐怖98%笑い2%くらいにコントロールされている。

    しかも首を締められている側の足のばたつかせ方と喘ぎ声の演出がすごいので、ものすごい迫力。

    よく見ると手錠が首に食い込んで血まで吹き出している。

    首を締めるのをこんなに丁寧にねちっこく描写した映画ってなかなか珍しい。

    映画『ノーカントリー』 シガー首絞め

    (C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

     

    エアガンとショットガン

    あとすごかったのはシガーの武器。

    ボンベのついたエアガン

    家畜用のものらしく空気を圧縮して飛ばしているのか、それとも先についたボルトを出してすぐ引っ込めているのかは謎だが、見たことない武器である。

    作中無関係なジジイの眉間をこれで撃ち抜いたり、ドアのシリンダーを飛ばすのに使っていた。

    でも実は作中あまりこれで人を撃ち抜いていない。

     

    一番使っていた武器がサイレンサー付きショットガン。

    シュボッっという音が印象的ですごい快感を覚える。

    それを用いて、モーテルで3人組のメキシコ人、雇い主のおっさん、カーソン・ウェルズと次々に殺していく。

    メキシコ人なんて腕が皮一枚で繋がってる状態になるし、雇い主のおっさんは首に被弾しめちゃくちゃ苦しんでいる。

    けっこうきわどいバイオレンス描写。

    ただグロいというわけではなくて、どこかコーエン兄弟の死の美学を感じるこだわりの描写に思える。

    様式美のような高貴なものに見えてしまう僕はやはりサイコパスなのだろうか…

    汚れるのは嫌

    ・モーテルで風呂桶に隠れたメキシコ人をシャワーカーテンで返り血を防いで殺す

    ・同じくモーテルで血で汚れた靴下をすぐ脱ぐ

    ・カーソンを殺したあと床に流れてきた血をそっと避ける

    ・モスの妻カーラを殺した後、靴の裏に血がついていないか気にする

    以上のように人殺しまくるくせにシガーは血を浴びたり汚れるのを非常に嫌うというのが面白い。

    『ノーカントリー』靴の裏に血がついていないか確認するシガー

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    そういえば身なりは几帳面。

    こういう細かな描写がしっかりしている映画は面白い。

    けっこうすぐ怪我する

    人間ではないんではないかとさえ思ってしまうシガーだが、普通に怪我をする。

    笑ってしまうくらい。

    モスに撃たれた足の治療の場面の痛い描写は名シーンだと思う。

    この異様に長い治療シーンにコーエン兄弟の変態性を感じる。

    『ノーカントリー』足を治療するシガー

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    終盤、シガーは青信号で横から車に突っ込まれてけっこう重症を負ってしまう。

    腕の骨ドーン

    「おー、骨だ」

    すごくさらっとやるので、こっちもそんなテンションで観てしまうが、地味に気持ち悪いシーンである。

    この突然の事故を初めて見る人はポカーンとするだろう。

    「なに、今のシーン?」と。

    まあ先述したように意味のある事故シーンだと思うが、コーエン兄弟のことだから観客を置いてけぼりにしたくてものすごい力を入れてこのシーンを撮った気もする。

    シリアスなのになんか滑稽

    ひたすら重い展開なのにどこか滑稽に感じるのがこの映画のすごいところ。

    というかコーエン兄弟作品のすごいところ。

    おそらく登場人物の表情と会話のズレた間が間抜けさを醸し出していて、滑稽に見えるんだと思う。

     

    あとはシーンが変わる寸前の無言無表情カットによる映像的な間もその滑稽さを作り出している要因だと思う。

    たとえばシガーが立ち寄る雑貨屋の主人。

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    アメカジタヌキ

     

    あとは命からがらシガーから逃げ、国境を越えようとするモス。

    映画『ノーカントリー』 血だらけのモス

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    グレた犬

    基本的にみんな眉間にシワ寄せてることが多い印象。
    怒っているというより困り顔。

     

    あとは単純に変な顔選手権。
    モスの暮らすトレーラーハウスの管理人のデブおばさんやモスの妻カーラの母親のメガネおばさんなどなど。

    (C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

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    脇役には本当にいそうな絶妙に面白い顔の人をコーエン兄弟は好む。
    日本みたいにやりすぎない感じがいい。

     

     

    そして一番気になっているなんか面白いカットはシガーがカーソン・ウェルズを殺し、モスと電話するシーンが終わる寸前のショット。

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    なんだ、このとぼけた顔は。

    モスとの会話の内容を、本来電話するはずだったカーソンに「だってよ」と伝えているようにも見える。

    そもそもカーソンの死体を見ているのかも謎。

    このシーンはどこを見ているんだろうか。

    最大の謎である。

     

     

    光と闇

    僕は映画において光と闇を巧みに利用したショットが好きだ。

    映画は本質的には光だから。

     

    まずはモスがホテルでシガーに襲われる寸前のショット。

    ドアの隙間から差す光と闇でシガーの存在を表現し緊張感を高めている。

    すごい単純なテクニックだが、このシーンにおいてはものすごい効果を出している。

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    またメキシコ人に水を飲ませに行ったモスが、ヘロイン取引現場から逃げるところ。

    この時の明け方の逆光によるモスの影と後ろの車の光が素晴らしいショットである。

    逆光によるシルエットってたまに差し込まれるとものすごく気持ちを動かされる。

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    極めつけは、夜モスの殺害現場のモーテルに1人戻ったベルが扉を開けようとするシーン。

    ついにベルとシガーの対決か!と緊張感がMAXになるところ。

    闇に潜むシガーとシリンダー穴から漏れる光だけで2人の距離感を表現している。

    そのシガーの様子は必殺仕事人の藤田まことと三田村邦彦と村上弘明を足して3で割った感じ。

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    穴から漏れる光といえばコーエン兄弟のデビュー作『ブラッド・シンプル』を彷彿とさせる。

    弾丸によってできた壁の穴から差し込む光の筋のショットはとてもゾクゾクするし、センスの塊なのでぜひ観てほしい。

    このショットだけでこの映画は観る価値があると思う

    テレビに映る影

    モスの家のトレーラーハウスを少しの時間差で訪れたシガーとベル。

    シガーは牛乳を取り出しソファに座る。

    このショットのシガーの様子はなんとも不安を駆り立てられる。

    まあいつもシガーは何考えているか分からないわけだが、特にこのシーンは何考えているか分からない。

    そしてテレビに映る自分の影をじっと見つめる。

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    そしてその後少ししてやってきたベルは牛乳の痕跡から、シガーと同じ行動を取る。

    ソファの同じ場所に座りテレビを見つめ同じようにその影を見るのだ。

    すごく不思議なシーン。

    意味ありげだがイマイチ良く分からない。

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    でも僕にはなんとなく2人は向かい合ってるイメージが湧いてくる。

    ショットの構図的にもベルはシガーと会話しようとしているように見える。

    シガーはテレビに自分のシルエットが映るのを見て、自分の影がそこに定着してしまうような感覚に襲われたのではないか。

    吸い込まれるような感覚。

     

    その後、ベルはシガーが見たであろうテレビの画面にシガーの痕跡を探す。

    そして問う。

    「おまえは何者なのだ」と。

    そんな解釈もあるかと。

     

    それかシガーが現実に存在する実体のある人間であることを示したかったのではないか。

    音楽がない

    ないってのは嘘だが、ほぼない。

    うん、てかやっぱないな。

     

    音楽は映像と同じくらい人の心への演出効果がある。

    なので映像自体に力がなくても、音楽が良ければけっこうよく見えてしまう。

    youtubeのかっこいい映像なんて音楽とスローになんとなく騙されてるだけ。

    音楽様様なわけだが、この映画はそれをあえて用いず、静寂やその場で鳴っている環境音を強調させて緊張感を演出してる。

    まあ後で作った音でしょうが。

     

    これは多分やってみると怖くなるはず、作ってる側は。

    素っ裸で就活するようなものである。

    よくわからない例えなのは自分が一番わかっている。

    普通はこわいから、よーし、音楽つけちゃおー!てなるはず。

    こういうストイックな演出がすばらしい。

    映画『ノーカントリー』の分かりづらいところを解説(私の解釈)

    『ノーカントリー』は観る人によっては「意味不明だ、全然おもしろくない」と怒り出す人までいそうな映画である。

    でも人によっては最後まで突き放されたような映画の展開に、どういうことだったのだろうかと考えることを楽しむ人も多いんじゃないかと思う。

    そういった意味でも何回も見たくなる映画ではないかと思う。

    そもそも原作者のコーマック・マッカーシー作品が難解だ(一文が異様に長く、会話に「」が存在しないので、私にはかなり読みづらい)。

    この映画も様々な解釈、考察がされてる。

    ということでパンフレットなどの情報+僕なりの解釈を書いてみたいと思う。

     

    メキシコギャングはなぜモスを発見できたのか

    僕はこの映画においては、モス、シガー、ベルの動きさえ分かっていれば、その他(アメリカ、メキシコの両組織など)はどうでもいいと思っているので、全く細かいところは気にならないのだが、けっこう気になる人が多いらしい。

    最初のモーテルでモスがダクトに金を隠した138号室。

    その138号室で夜待ち伏せしていたと思われるメキシコ人3人がシガーに殲滅される。

    なぜこの3人はモスを発見できたのか?

     

    僕は正直そんなのこの映画を楽しむ上でほんとどうでもいいことだと思っている。

    だがあえて書くとこれはどうやらメキシコ人というだけで、アメリカ側の人間、つまり雇い主はシガーと同じかもしれないということ。

    これはあくまでシガーの推測だと思うだが、シガーは雇い主を殺した時「メキシコ人たちにも受信機を渡したな」と言っている。

    だから自分より先にモスを発見できたと。

    これが本当なのかは定かではないが、とりあえずあの3人は受信機を持っていたと考えられる。

     

    可能性としてはメキシコギャングに受信機を渡したという可能性もないわけではない。

    なぜなら麻薬自体はメキシコギャングが回収しているので、アメリカ組織からすればモスが取引を邪魔し金も麻薬も横取りしたと思っている可能性もあるから。

    取引現場を調査し、シガーを案内したアメリカ人2人は、現場の状況を報告する前にシガーに殺された可能性もある。

    であればアメリカ人とメキシコ人が撃ち合いになったのも知られていないかもしれない。

    そう考えると、そこは協力して一緒にモスを追うということも考えられなくはない。

     

    まあどちらにしても真相は定かではない。

     

    というのもコーエン兄弟もこういったことを重視しているとは思えない。

     

    この映画は細かいところで矛盾やミスしているところがある。

    例えばモスが金を隠すダクトの配置。

    138号室でモスは金を隠し、その裏側にある38号室で金を回収しているのだが、どうダクトの位置関係を考えてもあの向きのトランクを回収できるのは138号室の左隣である139号室でなければおかしい。

    だがコーエン兄弟はこれをあっさり放置している。

    つまりこんな些細なことは普通に観ていれば気にならないし、気づいたとしてもどうでもいいことだと考えているから。

     

    しばしコーエン兄弟は完璧主義者と言われる。

    しかしそれは本当に映画の核に関わる重要なことについてだろう。

    モスは誰に殺されたのか

    観客はモスが殺される瞬間を観ることができない。

    世界の不条理さの演出と先述したが、果たして彼はシガーに殺されたのだろうか?

    これは映画だけ観ても、何回観ても本当にはっきりしない。

    原作ではモスを殺したのはメキシコギャングらしい。

     

    僕も当然シガーがそこにいたと思っていたが、考えてみるとシガーがあんな荒い殺し方をするのか疑問に残る。

    その場にいた人間、自分を見た人間は殲滅するシガーがあんなに人を逃がすのだろうか?

    というかモス、メキシコギャング、シガーという3者の戦いになどシガーが参戦するとはどうも考えにくい。

     

    シガーはモスがどこに金を隠すか既に経験上知っている。

    金の回収は急がないはずなので、たとえ3者の戦いになっても、確実に全員仕留めているはず。

     

    そう考えるとモスを殺したのはメキシコギャングにも思えてくる。

    コーエン兄弟なら、モスVSシガーの決着さえ、そうやってスカしてしまうことは十分ありえる。

    シガーは世界の一部で絶対的な存在ではない。

    あれだけの逃走劇を繰り広げながら、シガーにすら殺されないモス、という展開もまた大いなる世界の不条理といえるだろう。

     

    んー

    でもそれだとやっぱり話としてスッキリしない気もする。

    まあこれはコーエン兄弟が監督した映画であって、原作とは違うのでシガーが殺したと思っている方が自然かもしれない。

     

    僕の結論としては、元も子もないが、誰でもいいである。

    重要なのはモスがあそこで殺され、結果、誰のことも守れず、金も奪われたという事実である。

     

     

    モスが殺された部屋をベルが訪れた時、中にシガーはいたのか?

    終盤モスが殺された後、ベルはシガーの行動パターンからモーテルに再び戻るのではないかと考る。

    ベルはモーテルのドアのシリンダーが吹っ飛ばされた穴を前に、ドアを開けるべきかためらう。

    極限状態、まさに保安官としての魂をかけるべき時。

    そしてそのためらうベルの様子に、シガーが闇の中に潜んでいるカットが挿入される。

    ちょうどドアを開けた時、死角になるところである。

    そして意を決してドアを開けるベル。

    しかし中には誰もいる気配がなく、風呂場の窓も戸締まりがされていた。

    ドアを開けたベルの正面からのカットにもドア裏にシガーがいる様子はない。

    安心してベッドに座るベルだったが、ダクトの蓋が外されていることに気づくのだった。

     

    ということでこの時シガーは本当にいたのかどうか、意見が真っ二つに割れるところである。

    意図的に分かりづらくしてるだろって感じがする。

     

    僕の見解は単純、シガーはいなかった

    だって完全に画を明るくしてみてもドアのところに人なんて見えない。

    いたならさすがにあんな警戒してる人間が20cmくらいの距離で気づかないわけないし、風呂場覗いてる一瞬で逃げたなら音で分かるだろう。

    というか勢いよくバンと開けたドアと壁の隙間にシガーが張り付いていたと思うと、それこそギャグに見えて笑ってしまう。

    そもそも隠れることを知らないシガー(自分をシガーと認識した人間のことは殺してしまうから)があんなせこい隠れ方するのかなあ?と思ってしまう。

    シガーなら不意にベルが来たとしても、ドアの前で待ち構える気がしてならない。

    またあの場面でシガーが中にいたとすると、シガーにとってベルの生死を分ける要素は、ベルが部屋に入るか入らないかしかない。

    それがどちらに転がるのかはもちろん分からない。

    入ってきたから殺さなかったというルールも考えられるがなんかシックリこない。

     

    でも風呂場にいる間にドアが動いているとか、規制線の影が無くなっているって説もあるみたいだ。

    僕も見返した。

    あーなるほどーと思った。

    だが入ってきた時のベルの足元のカットを見る限り、すでにドアの角度は入り口に対して垂直に近くなっている(風呂場に行く前の時点で引きと寄りでドアの角度が変わって見える)。

    またベルは照明を点けてしまうので、部屋の環境が変わってるし、ベッドに座るベルのバストアップの後ろには動く2本の影がしっかり映っている。

    よく見れば分かるヒントを隠すとしても、こんなに曖昧な描写しかしないのはちょっと不自然な気もする。

    ダクトの件もあるし、これもまた微妙な説だ。

     

    やはり僕はシガーの潜んでるカットはベルの極限状態の頭の中ではないかと推測する。

    この映画は噛み合わない世界を描いているからこそ面白いのではないか。

    ベルもシガーも実際に相対してしまったら、命をかけなければならないことは分かっている。

    そして観客も映画のクライマックスはそうなることを期待している。

    だがこの世界(映画)では、観客が期待するようなことが実際には起きない。

    そんな最後まで気まぐれで噛み合わないこの世界が、僕は面白いと思うのだ。

    ベルとシガーが実際に遭遇してしまっていたら、この『ノーカントリー』の根幹自体まで怪しくなってくる気がする。

     

    ベルはシガーの容姿知らねーはずだよ、とかいう輩もいそうですが

    そんなの知らねえ。

    でもきっと見えている、ベルには。

    それがあのテレビのカットに繋がっている。

    あそこでベルはテレビに映るシガーの残像を見たんだ。

    そう無理やりつなげてみる。

     

    でもその前にシガーは現場に確かに戻っては来ている。

    ダクトを開けて金を回収してるから。

    それを知ってるのはシガーくらい。

    シガーとニアミスしたベルは、その残した気配を敏感に感じ取ったのだと思う。

     

    意を決して、この世の不条理と対決しようとしたのに、土俵にすら上がらせて貰えないという、これまたコーエン兄弟特有の不条理がここにも顔を覗かせる。

    ベルが保安官引退を決意した最後の引き金があのシーンだったのだろう。

    だってあんな妄想するくらいシガーという理不尽な暴力に心が折られかけたのだから。

    タイトル『ノーカントリー』の意味

    邦題「ノーカントリー」だとなんのこっちゃ分からないが、原題は『NO COUNTRY FOR OLD MEN』。

    これはアイルランドの詩人W・B・イェイツの『ビザンチウムへの船出』から引用されているそう。

    普通に訳すと「老いた者たちのための国ではない」。

    ベルは冒頭のナレーションからモス殺害後の同僚保安官、叔父エリスとの会話まで一貫して、最近の犯罪は理解できなくなってどうしていいか分からないと言っている。

    つまりアメリカは老いた者たちには理解できない国になってしまったという悲嘆のような意味に思われる。

    冒頭のナレーションではそれでも「魂を危険にさらすべき時は”OK”と言わなければならない。”世界の一部になろう”と」と言っている。

    いざ理解できないような犯罪に立ち向かわなければならない時は、死を受け入れて挑み、それを止めてみせよう、といったベテラン保安官の気概のようなものを感じさせてくれる。

     

    しかし結果的にベルは今回の事件でなにもすることができなかった。

    世界の一部になるどころか、そのサイクルにすら入れなかったベルは強い無力感を感じ、保安官引退を決意したのだろう。

    そんなベルに叔父エリスは、自分の叔父の話をし、「昔から世界は暴力で満ちていた、それは止められないんだ、止めようとしているならそれは自惚れだ」みたいなことを言う。

    現実に絶望するベルへの一種の慰めのような言葉であり、この映画の言わんとしていることを代弁したような言葉である。

    先述したこの映画のテーマと併せて総合するとタイトル『NO COUNTRY FOR OLD MEN』とは、”アメリカは老いた者たちには理解できない国になってしまった=世界は不条理で無慈悲なものとなってしまった、そしてそれは私達にはどうすることもできない”という意味が込められていると解釈できる。

     

     

    ベルが見た2つの夢

     

    ベル保安官 2つの夢

    (C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

     

    ベルが最後奥さんに2つの夢の話をして静かに、そして唐突にこの映画は終わる。

    みんな初見では?????になるのではないだろうか。

    僕も映画に満足しながらも???????????だった

    でも奥さんの表情からなんか温かい感じがした!くらいのアホな感想。

    1つ目の夢は

     

    1つ目の夢
    「どこかの街で親父に金をもらい、それを無くした」

    これは父も保安官であったことを考えると、金=遺産=保安官の魂ではないかなあと思われる。

    ベルの家系は父だけでなく叔父エリスも保安官助手だったみたいだし、そうなることが立派な人間の条件であり誇りだったのだろう。

    そんな保安官を辞めたことで父に対し、後ろめたさがあったのではないかと思う。

    それが夢に表れたのではないだろうか。たぶん。

    2つ目の夢は

     

    2つ目の夢
    「2人で昔に戻ったような夢で、俺は馬に乗り夜中に山を越えていた。山道を通って行くんだが、寒くて地面には雪が積もっていて、親父は俺を追い抜き何も言わず先に行った。体に毛布を巻き付けうなだれて進んでいく。親父は手に火を持っていた。昔のように牛の角に火を入れて、中の火が透けた角は月の色のようだった。夢の中で俺は知っていた。”親父が先に行き闇と寒さの中、どこかで火を焚いている”と。”俺が行く先に親父がいる”と。」

    多分この”暗く寒い山道を進む”というのは、ベルが実感した、”すぐ隣に死が存在する不条理な世界を生きること”。

    そこを手に火を持った父親が何も言わず自分を追い越していく。

    これは父親が、そんな辛い世界であっても必死に生きた生き様をベルに示したのだと思う。

    「おまえと同じように俺も苦しんだんだ」と。

     

    そしてこの先のどこかで父親が焚き火をして自分を待ってくれていると感じる。

    この先というのはあの世で、この極寒の雪山における火という存在は生きる希望を象徴しているのだと思われる。

    つまりこんな過酷な世界で絶望しそうになるが、この先には必ず希望があると父親が示してくれているんだと思う。

    だからそれに向かって強く生き続けなければならないとベル保安官は感じたのだと。

    また何も言わず自分を追い抜いた、そして火を焚いて待っててくれるという暖かい行動は、保安官を辞めたことを責めたりしていない、ということではないかと思う。

     

    これは親から子へ強く命を受け継ぐということが、不条理な世界に対する唯一の抵抗手段であると言っているようにも思える。

    この映画は最後の最後で世界にはまだ希望があることを私達に示しているのだ。

    ちょっといい意味に捉えすぎかな?

    おわりに

    長くグダグダと書いたが、色々な楽しみ方ができる大傑作だと思う。

    映像美に見入るもよし

    色々考えて深読みするもよし

    変な顔を楽しむもよし

    殺戮ショットを楽しむもよし

    様々な楽しみ方、解釈が成り立つ映画なので、福田雄一作品が最高の映画だと勘違いしている日本人には是非観てほしいと願う今日このごろである。

    また『ノーカントリー』が肌にあった方は是非、同じコーエン兄弟作品の『ファーゴ』を観てほしい。
    絶対に楽しめるはずだ。

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