映画『グリーンブック』ネタバレ感想&解説!ひねくれたくてもひねくれられない傑作!
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青緑のアメ車にヴィゴ・モーテンセン。

この2つの要素が画面に収まっているだけでその映画は面白いことが約束されているんじゃないか、そんなことすら思わせてくれる強烈なイメージがそこにはあります。

もうこの画を思いついただけで作品の勝利確定です。

ヴィゴ・モーテンセンという俳優の顔ほど映画映えする顔はないんじゃないかと本気で僕は思うんです。
笑っても怒ってもどんな表情をしてもどこが複雑な影を帯びる、そんな顔をしています。
ただその「顔という物」が画面に映っているだけで僕たちは、人間の複雑怪奇な内面をいくらでも想起できるんです。
そのようなどんな感情にもとらえることが出来て、かつ映画俳優として整った顔というのはなかなかありません。

そして青緑のアメ車。
映画は動くものを観るのが最大の喜びだと思うんです。
車のもつ運動性は人間が持つ感性を刺激してくれる最高の被写体です。
そして何とも画面映えする美しい青緑。

そんなメインビジュアルを持つ、2019年公開作品初の僕が心から楽しみにしている映画がようやく公開されました。

それが『グリーンブック』

細かい内容など正直どうでも良くて、ヴィゴ・モーテンセンが青緑のアメ車を運転しながらマハーシャラ・アリと旅をするロードムービーというだけで絶対面白いんです。

たとえこれがその辺の学生が監督していても僕は面白いと言うかもしれません。

それほど僕が大好きな要素が揃っているんですよ。

興奮が止まりません。

唯一の心配事といえば…アカデミー作品賞をとってしまったことくらいでしょうか。
あまり僕には合わない作品がとる気がするんですよねえ。

公開初日ユナイテッド・シネマとしまえんで朝一行ってきましたけど、アカデミー賞効果でしょうか、大型のシアターがほぼ満席でしたよ。

『グリーンブック』とは???(まだネタバレなし

作品データ
原題 Green Book
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 130分
映倫区分 G

スタッフ
監督
ピーター・ファレリー
製作
ジム・バーク
チャールズ・B・ウェスラー
ブライアン・カリー
ピーター・ファレリー
ニック・バレロンガ
製作総指揮
ジェフ・スコール
ジョナサン・キング
オクタビア・スペンサー
クワミ・L・パーカー
ジョン・スロス
スティーブン・ファーネス
脚本
ニック・バレロンガ
ブライアン・カリー
ピーター・ファレリー
撮影
ショーン・ポーター
美術
ティム・ガルビン
衣装
ベッツィ・ハイマン
編集
パトリック・J・ドン・ビト
音楽
クリス・バワーズ
音楽監修
トム・ウフル
マニッシュ・ラバル

キャスト
ビゴ・モーテンセン / トニー・“リップ”・バレロンガ
マハーシャラ・アリ / ドクター・ドナルド・シャーリー
リンダ・カーデリニ / ドロレス
ディミテル・D・マリノフ / オレグ
マイク・ハットン / ジョージ
セバスティアン・マニスカルコ
P・J・バーン

 

黒人ピアニスト、ドクター・ドナルド・シャーリーと運転手兼ボディーガードのイタリア系アメリカ人トニー・“リップ”・バレロンガが黒人差別が色濃く残る、1960年代のアメリカ南部をコンサートツアーで回るというロードムービー。

現在でも差別が残ると言われるアメリカ南部は特に人種差別が強い土地です。
映画にも描かれますが、舞台となる1962年は黒人はトイレもレストランも宿泊施設も白人とは別。
それが合法だったというから驚きです。
黒人が知らずに店に入って暴力を受ける、命を奪われるなんてこともあったそうです。
孤高の天才黒人ピアニスト、ドクター・ドナルド・シャーリーはそんなアメリカ南部であえてコンサートツアーをしようとするんですね。
そこで運転手を探すわけですが、運転よりも大事なのは南部で自分を待ち受けるであろうトラブルを解決してくれるボディーガードとしての役割でした。
そこで白羽の矢が立ったのが、ニューヨークの有名ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップ・バレロンガ。
ギャングなども顔を出すクラブでその腕っぷしと口(リップ)でどんなトラブルも解決するトニーがどうしても欲しいドクターはトニーの出した条件を全面的に受け入れ、彼を雇うのでした。
育った環境から何もかも正反対の2人は、旅中も互いの流儀を譲らず衝突ばかりしますが、南部でおこる数々の人種差別トラブルを経て2人は互いをリスペクトしあい強い信頼関係を結んでいきます。
そして旅の最後に2人を待つものとは…

これを書いているだけでちょっと泣けてきますが、『グリーンブック』は文章にして書くとそんな感じのよくある話です。
お涙頂戴のために人種差別をテーマにしたフィクションバディものはよくありそうですが、本作が他とは違うのは実話を基にしているということ。
共同脚本とプロデューサーを務めたニック・バレロンガはトニー・バレロンガの息子。
ナイトクラブ、コパカバーナのフロアマネージャーだったトニー・バレロンガも、孤高の天才ピアニスト、ドクター・シャーリーも実在の人物なんです。
ニックは幼い頃から父トニーにコンサートツアーの話を聞いており、父の生き方すらも変えたこの旅をいつか映画化したいと考えていたんですね。
そしてトニーとドクターが晩年にさしかかったある時、2人に長時間のインタビューを行い映画の原案が生まれました。

タイトルの「グリーンブック」とは、黒人のための南部の旅ガイドのことなんです。
アフリカ系アメリカ人のヴィクター・H・グリーンが、黒人が利用できる店や宿泊施設をまとめ1936年から30年間毎年出版していました。
また南部では町によっては州法で黒人の日没後の外出を禁止する「サンダウン・タウン」というのもあり、黒人旅行者に長年重宝されたそうです。

キャスト/スタッフ

イタリア系アメリカ人、トニー・リップ・バレロンガを演じるのはヴィゴ・モーテンセン。
彼はデンマーク系なので、そもそもイタリア系は演じられないと何度もこの役を断ったそうですが、日本人の僕からすると何の違和感もなかったですね。
それよりも驚いたのはその容姿の変化。
すこしでも本物のトニーに近づけるため、体重を約20キロも増やしたそうです。
前作『はじまりへの旅』(2016)ではスリムそのものだったので、その突き出た腹にその後すぐ戻せるのか人間としてのヴィゴ・モーテンセンがめちゃくちゃ心配になりましたが、そのくらい恐ろしくストイックな人なんですね。

ヴィゴ・モーテンセンといえば『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの人間の王アラゴルン役が有名ですが、僕の一番のおすすめはデヴィッド・クローネンバーグとのコンビ作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)と『イースタン・プロミス』(2007)です。
その他にはショーン・ペンの初監督作『インディアン・ランナー』(1991)もオススメです。
何を考えているか分からない、何をしでかすか分からない危険な雰囲気をもつ役が本当によくあいます。
なので『グリーンブック』のトニーという役の粗暴な部分はこれまでもあったのですが、その一方でトニーはとても弁がたつ陽気な男でもあるわけで、そういった役はあまりない印象なので新境地といったところでしょうか。
そもそもコメディ映画もヴィゴ・モーテンセンは少ないですね。

そして天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー役はマハーシャラ・アリ。
2016年のアカデミー賞で作品賞を受賞した『ムーンライト』(2016)のフアン役で一躍脚光を浴びました。
この時もアカデミー助演男優賞を受賞しており、今作『グリーンブック』で2回目のアカデミー助演男優賞受賞となりました。
『ムーンライト』なんて全然登場しないのに受賞してましたし、すごいですよね。

監督は下ネタコメディ映画ばかり撮っている印象のピーター・ファレリー。
正直『メリーに首ったけ』(1998)、『愛しのローズマリー』(2001)以外、最近作は観ていないのですがやっぱり一貫して過激なコメディを撮っていたそうです。
でもいつかはドラマ作品もやりたいと考えていた監督は、又聞きしたトニーとシャーリーの話が忘れられず、映画化を決意。
脚本にも参加し『グリーンブック』が製作されました。

『グリーンブック』のあらすじ

1962年のニューヨーク。
有名ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップ・バレロンガは自身が起こしたトラブルによって、店が2ヶ月の改装に入ってしまい失業状態になってしまう。
妻と2人に幼い子どもを養わなければならないトニーはある求人情報を紹介される。
それは”ドクター”が運転手を探しているというものだった。

面接場所に向かったトニーだったが到着した場所はカーネギー・ホール。
カーネギー・ホールの上で暮らしていた”ドクター”は医者ではなく天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーだった。
アメリカ南部を8週間かけて横断しコンサートツアーを行う予定のドクター・シャーリーは運転手兼ボディーガードを探していたのだ。
玉座に座り、身の回りの世話も仕事の1つだと話すドクター・シャーリーに、「俺は召使いじゃない」と一度は仕事を断るトニーだったが、どうしてもトニーのトラブル処理能力が欲しいドクター・シャーリーはトニーの出した条件を全面的に受け入れ彼を雇うのだった。

青緑の車に乗り込み旅立つ2人だったが、エリートとして育ったドクター・シャーリーと、暴力、ギャングに囲まれて育ったトニーは全てが正反対。
身なり、言葉遣い、食べ物とお互いの流儀を崩さない2人は反発しあうが、ドクター・シャーリーのピアノ演奏を見聞きしたトニーはその演奏の素晴らしさに彼の見方を変えていく。
更にドクター・シャーリーの人間としての孤独を知ったトニーは、仕事としてだけでなく彼を守ってやりたいと思うのだった。
またドクター・シャーリーも幾度のトラブルも一歩も引くことなく自分を守ってくれるトニーに信頼を寄せ、そして彼に見え隠れする人間としての優しさに心を開いていく。

いつしか互いを認め、友情を深めていく2人がツアーの最後に訪れたのは、ある”歴史ある決まり”が残るレストランであった。
そこで彼らがとった行動とは…
そしてツアーの果てに彼らを待つものとは…

といった感じ。

『グリーンブック』の感想&解説(ここからネタバレあり)

まずはうんこ度(このサイトではどのくらいつまらなかったかで評価しています。ダメ映画=10点)

1.0/10  アカデミー作品賞なのでなんとなくひねくれてケチつけたくなるが、素直に笑って泣いてすごく楽しんでしまったので文句がなかなか出てこない映画

もう書いたとおりです。
すごく良かったんですよ。
細かい文句もあった気がするんですけど、満足感が大きく上回ってしまって思い出せないです。
冒頭で勝ちだとか書いてましたけど、本当は内容の無さとかでボコボコに書くつもりでいたんですけど、そんな気持ちを超越してきましたよ。
いまだに記事を書けていない『バーニング劇場版』を僅差で抜いて今のところ2019年1番良かった。
って全然作品数観てないですけどね。

よく「笑って泣ける映画」というアホ丸出しの宣伝文句がありますが、大体嘘ですよね。
あくまで僕にとってはですけど、笑えるけど泣けはしない、もしくはちょっとジーンとするとこもあるけど全く笑えないそのパターンが多いんです。
でも『グリーンブック』はほんとに笑って泣けちゃいました。
悔しいなあ…

男二人旅 by car

正直ヴィゴ・モーテンセンが存在している画を楽しむだけの映画かと思っていたんですよ。
内容はどうせお涙頂戴の薄っぺらいものだろうと。
誰が泣くか、バーカみたいな。
でも泣けちゃったんですよねえ。
もちろん雨の中で車を降りたドクター・シャーリーが本音を晒すシーンや、トニーがドン・シャーリーを心から思いやってどんどん変わっていく様子も泣けるんです。
でもね、2人が乗った車が大地を疾走しているだけで僕はもう無性に泣けてくるんですよ。
冒頭そんなに旅の明確な目的って示されないんです。
なぜコンサートツアーにわざわざ行くのかはっきりは分からない。
だから何のためにこの2人は車に乗っているのかふわふわしてるんだけど、猛烈にジーンとくるんです。
目的がないわけじゃないんだけど、よく分からない何かに向かって突き進む男2人と車というのはすごくエモーショナルだと思うんですよ。
2人が並んでないのもなんかいいんですよ、前後に座ってるその配置が。
2人の人間性にも繋がっている気がするんです。
特にドクター・シャーリーの孤独みたいなものが表れている気がします。
誰にも背中を見せないみたいな。
それが最後その位置関係が逆になるという最高の感動につながるんです。
背中を預けられる相手を見つけたというね。

そもそも僕は男2人旅みたいなジャンルに弱いんですよね。
片方女性ではもちろんだめだし、3人以上だと複雑になって集中できなくなります。
男2人のなんとも言えない距離感がいいんですよ。
大抵素直じゃないし不器用で馬鹿なんで、なにしても喧嘩になったりうまくいかないんですけど、何かをきっかけに本音がポロッと出る瞬間があるんです。
それを機に少し距離が縮まり、心から笑いあうようになる。
でも男同士だからべったりではない、ドライな距離感を保つ。
うまく言葉では説明出来てないんですけど、そんなところが好きなんです。
途中3人ですけど『ダウン・バイ・ロー』(1986)、親子ですけど『ネブラスカ』(2013)、あとは『さすらい』(1976)とか『スケアクロウ』、邦画だと『リアリズムの宿』(2004)。
男二人が歩いている画ってなんか寒々しくて悲しくて可笑しい、そんなイメージが僕にはするんです。

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人種差別描写問題

アカデミー作品賞までとった『グリーンブック』ですけど、世界的に絶賛されているかと言えばそんなこともなくて、否定的な意見もかなり多いらしいんですよ。
まあ人種差別問題扱った時点で賛成票が圧倒的という状況になるわけないんですけど。
日本人の僕からすれば全く気にならなくても、当事者からすれば偏って見えるんですよね。
多分どんな描写であっても全員が納得するような映画にはならないでしょう。
『グリーンブック』に多い意見は「白人の説教映画だ」とか「人種問題を超えるためには、白人が努力して黒人に寛容になることだと言っているような映画」だとか、白人が主体となっているという批判なんですよね。
あとこれは少し僕も思いましたけど、描かれる人種差別問題が単純すぎるんですよね。
アカデミー賞授賞式でも、3月22日公開の『ブラック・クランズマン』が作品賞にノミネートされていたスパイク・リーが、『グリーンブック』が作品賞をとった瞬間ブチ切れて帰ろうとしたらしいです。
最新作の『ブラック・クランズマン』も白人至上主義軍団KKKを扱ったりと、人種差別問題を誰よりも鋭く描こうとするスパイク・リーからすれば面白くないのは当然なんですけど、キレて帰ろうとするのはちょっとねえ。
それこそ映画は自由なんだから、その多様性を受け入れないスパイク・リーのそういう態度こそ差別につながってると思っちゃいます。
ピーター・ファレリー監督はこういう批判に対して「だって事実旅中2人は命の危機に瀕するような差別は受けてねーもん」って言っているらしです。
だから映画内の描写もマイルドなんだと。
まあ事実がどうとかは関係なく、僕はすごく単純で分かりやすい差別描写だからこそ深く共感できたんですけどね。
人種差別の映画ってたくさんありますけど、当事者じゃない僕からするとこれまでそんなに深く心に響いたことなかったんですよ。
多分リアルに描こうとすればするほど、対岸の火事のように感じていたんだと思うんです。

とここまで書いてて思うのはそもそも僕はこの映画をそんな人種差別問題の映画と捉えていないってことなんですね。
すごく心に響いたと思っていたけど、それは黒人だからという人種差別に起因する孤独だからというわけではなく、もっと根本的な1人の人間としてのドクター・シャーリーの孤独、悲しさに寄り添ったからだと思うんです。
確かに事件のきっかけ、孤独、悲壮感の原因は人種差別にあるのかもしれないけど、起きる事件が人種差別ではなくても、何であれ僕は心が動いたと思うんです。
トニーは冒頭、黒人作業員2人が口をつけたというだけでそのコップを処分しようとします。
黒人を特定の音楽、食べ物を食べていると偏見も持っています。
でもこれってほんとにただの教育、環境、伝統みたいなものから来る大きい枠組みの思い込みなんですよね。
トニー個人は黒人に対して特定の恨みがあるとか何か体験があるとかそんなことはなくて、小さい頃から黒人にはそうするものだと何となく思い込みでそうしているだけなんですよ。
もう深い意味などない。
まあある意味では1番悪な気もしますが、僕含めて世界の差別、嫌悪の大半はこれだと思うんです。
思考が停止しているだけ。
でも旅の中でトニーは徐々にドクター・シャーリーをリスペクトし、彼の孤独を理解し、仕事としてだけでなく彼を守ろうとします。
これはドクター・シャーリーが黒人だからってことは、トニーからすれば関係ないんですよ。
ドクター・シャーリーと触れ合う中でトニーが見ているのは、黒人としてのドクター・シャーリーではなく1人の人間としてのドクター・シャーリーなんです。
「一緒に仕事をしている尊敬できる人間がいて、そいつは実はすごく孤独で悲しみを背負っていた。そういえばそいつは黒人だった。これまで自分が抱いていた黒人へのイメージは間違ってたんだな」
トニーからすれば良くも悪くもそれくらいの認識だと思うんです。
豪快で面倒見が良くて細かいことは気にしないトニーはそういう男なんです。
だからドクター・シャーリーが同性愛者であることが分かっても、もう偏見を抱いたりしないんです。
はじめドクター・シャーリーに反発していたのも彼が黒人だからというだけでそうしたわけではなく、ドクター・シャーリーが自分とは正反対の考え方、生き方をしていたからです。
むしろこの時点ではドクター・シャーリーがトニーの育ち方という点で差別をしているようにも感じます。

なんかまとまらなくなってきましたけど、この映画は1人の人間と人間がお互いの人種がどうとかそういうことに留まらないたくさんの無理解、齟齬を超えて、尊敬できる信頼できる人間として心を通わせる映画だと思うんです。
つまり描きたかったのは人種差別問題という特定の枠組みではなくもっと大きい人間同士のすれ違い、無理解だと思います。
監督が狙っていたのかはわからないですけど、差別の描写が分かりやすいことで人種差別問題に偏ることなく普遍性を獲得できたんだと思います。
だからこそこんなひねくれている僕でも素直に心に響いたんだと。

ざっくり良かったところを

冒頭のショット、コパカバーナ店内の賑わう様子を捉えたショットを観た時は嫌いかもと思ったんです。
感覚的なものですけど、なんかカメラが近いなと。
コテコテのの90年代アメリカテレビドラマの撮られ方みたいな、なんかそういう印象を受けたんです。
あ、これはずっとしつこい描き方をしてくるかなあと。
でも観ていくとやっぱりカメラは人物に近いんですけど、これがなかなかあっさりしてるんですよ。
感動するようなところも、もっと引き伸ばすかと思ったらあっさりショットを変える。
感動モノにしては引き際がしっかりしてて余韻をすごく感じられるところが好きでした。
それは笑いに関してもそうで、もっとピーター・ファレリーだから馬鹿臭いコテコテなことするのかと思ったら、すごく自然な笑いなんですよ。
しかもそれが2人の関係の発展にしっかり生きているんです。
トニーの手紙添削シーンや車内フライドチキンシーンは場内大爆笑でした。
特にトニーの手紙の添削は感動と笑いが両立したオチに繋がっていてうまかったですねえ。

あとはー、やっぱヴィゴ・モーテンセンは最高でした。
もう永遠に観てられます。
びっくりするぐらい肥えて腹出てましたけど、それでもかっこいい。
トニーがヴィゴ・モーテンセンじゃなかったら、こんなに感動したのかなあ…
ヴィゴ・モーテンセンてどんな役でもちょっと知的な感じがにじみ出てくるんですよ。
今回みたいな役でも、勉強が出来るとかっていう頭の良さではなく、社会的に生き抜くための頭の良さという意味での知的さが出ているんですね。
それがすごくトニーに説得力与えていたし、リップだけでない男という奥行きを持たせていたと思うんです。
ドクター・シャーリーがトニーを信頼していくのが自然と納得できるんです。

そのドクター・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリも良かったですよ。
特に良かったのは、1人鏡の前で傷の手当をするショット。
あの時の表情で僕は一気にこの映画が敷いた感動の方向性に見事に乗ってしまったんです。
すげー切ない顔しやがるんですよ。
「くそーなんか泣けてくるじゃねーか、やめろー」と思ったんですけどもう遅かったですね。
なんともいえない複雑な気持ちにさせられましたよ。

映画は映画でしかない

あのマハーシャラ・アリの顔を思い出したら、またこの映画の人種差別という観点からの批判に対して書きたくなりました。
何も分かってないって怒られそうですけど、僕はそういう人種問題とかでこの映画を批判する人こそ、寛容さの足りない差別をする人だと思うんですよ。
だって映画ですよ?
誤解されそうですけど、映画は所詮映画でしかないのに
最近はみな被害者意識が強すぎるんじゃないかなあと思うんです。
過敏になりすぎて自ら卑屈のなってしまってるように思えます。
その行き過ぎた反発心がこういった差別問題を長引かせていることにそろそろ気付くべきだと思うんですよ。
本当にそれで苦しんでる人はもちろんいますが、たいていこういうことで声上げるやつってあんま関係なかったり、論点ズレていたり。
本当の当事者たちからすれば主張したいのはそこじゃない、みたいなこと多いんですよね。
外野が騒いでいるだけみたいな。

まあこういう人種間、国家間の問題とかって当事者にならないと意見を言うべきじゃないし、気持ちを本当に理解するのは不可能なんだけど、やっぱり過去を恨んでも先に進まないし、どんなに謝罪しても謝罪しきれないと思うんですね。
だからある程度でお互い前を向いてこれからを考えないと何も進まないと思うんです。
人種とか国とかいう大きな枠組みで考えるんじゃなくて、人種とか国は概念であってその正体は1人1人の人間であると思い浮かべるべきなんです。
「嫌いだとなんとなく思っていた国の人間1人と触れ合ってみたら全然そんなイメージとは違って、愛すべきいいヤツだった」
そんなことだらけだと思うんですよ、世界は。
全ては対1人の人間なんだと寛容になることが大切なんだと思います。
そんなことを思わせてくれる良い映画でしたよ、『グリーンブック』は。

おわりに

僕も映像製作していますが、いつもはもっと歪でドライな映画に惹かれるし、そんな誰も撮らないような映画を撮ってみたいなあって思ってるんです。
分かる人が分かればいいみたいな映画。
でも『グリーンブック』を観ると、ほんとは心の何処かでこんな分かりやすくて多くの人が泣いて笑えて、映画館を出る時にいい気分になるような映画を撮りたいと思っている自分がいることに気付かされます。
なのにこっ恥ずかしさと個性みたいなのを考えてしまってその気持ちを無意識にどこかにしまっているのかなあと。
まあ多分ほんとに向いてないんですけど。
そういう向き不向きはあるんで、自分にしか撮れないものを撮るのが1番な気がするんですけど、どんなにある方向に突き抜けた映画製作者も心の何処かでは僕と同じように一度はこんな素直な映画撮ってみたいと思っているんじゃないかなあ。

なんて素直なことまで思わせてくれる映画でしたよ。

今回はひねくれないうちに終わります。

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