「片山さんの映画行かない?」
3月初旬、そんな感じで知人から映画に誘われた。
?
誰だよ、片山さんて。
”さつき”しか思い浮かばねーぞ。
それはなんでも僕の敬愛する山下敦弘(『マイ・バック・ページ』、『苦役列車』、『味園ユニバース』の3作品)やポン・ジュノ(オムニバス映画『TOKYO』、『母なる証明』の2作品)の元で助監督をしていた片山慎三のことで、その人の長編デビュー作が公開されるとのこと。
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タイトルは『岬の兄妹』。
それは公開してすぐのことだったけど、その話の内容を知って即断った。
「自閉症の妹に売春させて生活しようとする兄の話」
普通に最低じゃねーか。
もう絶対気持ちがヒリヒリして目を背けたくなる映画じゃねーか。
イ・チャンドンだから『オアシス』という障碍者の恋愛を扱った作品なんかも観たけど、「タブー」て言葉は好きでも、いざそのタブーに切り込もうとする映画を観るのは躊躇してしまうところがある…
ポスターもインスタントカメラで撮ったような生々しい雰囲気の写真が使われていて、僕がちょっと苦手な土着的で、それでいて少しエキセントリックな感じもする。
ちょっと自主映画っぽいし、これは苦手そうだ。
そう判断したのだ。
でもそれから生活していると、自然と『岬の兄妹』の話題が耳に入ってくるのだ。
絶賛されているらしいと。
特に映画業界人から。
そう聞くと気になる…
観るのは嫌いでも、僕もそういうタブー視されるような映画は作りたいし。
ということで勉強にと、もう上映終わりそうな4月末、遠く市川妙典に滑り込んだ。
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映画『岬の兄妹』とは???
作品データ
製作年 2018年
製作国 日本
配給 プレシディオ
上映時間 89分
映倫区分 R15+スタッフ
監督
片山慎三
脚本
片山慎三
製作
片山慎三
プロデューサー
片山慎三
撮影
池田直矢
春木康輔キャスト
松浦祐也 / 道原良夫
和田光沙 / 道原真理子
北山雅康 / 溝口肇
中村祐太郎
岩谷健司
時任亜弓
ナガセケイ
松澤匠
芹澤興人解説
ポン・ジュノ監督作品や山下敦弘監督作品などで助監督を務めた片山慎三の初長編監督作。ある港町で自閉症の妹・真理子とふたり暮らしをしている良夫。仕事を解雇されて生活に困った良夫は真理子に売春をさせて生計を立てようとする。良夫は金銭のために男に妹の身体を斡旋する行為に罪の意識を感じながらも、これまで知ることがなかった妹の本当の喜びや悲しみに触れることで、複雑な心境にいたる。そんな中、妹の心と体には少しずつ変化が起き始め……。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の国内コンペティション長編部門で優秀作品賞と観客賞を受賞。
映画『岬の兄妹』ネタバレなしの見どころ紹介
妹に売春させる兄、良夫役は冨永昌敬監督作『ローリング』に出ていたらしい松浦祐也。
その他にもいろんな映画に出ているらしいけど、全然印象に残ってない!
『ローリング』は冨永作品の中で、ダントツで1番嫌いだったし。
そして自閉症の妹、真理子を演じるのは和田光沙。
山下敦弘の『ハード・コア』や白石和彌の『止められるか、俺たちを』などに出演していたらしいんだけど、全然記憶にございません。
すみません。
売春を利用する客の小人者を、監督業もしている中村祐太郎が演じている。
あと知っているのはすげーちょい役の芹澤興人。
その他の俳優さんたちは全然知らん。
まあ自由にやりたいということで制作費は、ほぼ監督の片山さんの自腹という超絶苦労の末に生まれた映画らしいので、ギャラの高い奴らは使えないので当然のこと。
しかも撮影期間は超飛び飛びですが1年、完成には2年を要したそう。
すばらしい気概。
というか内容が内容なので超売れっ子監督でも制作費出してくれるところがそもそもないだろう。
ストーリーは冒頭に書いた通り「生活の苦しさから自閉症の妹に売春させる、片足の悪い兄の話」。
それを聞いただけでキツそうだけど、その通りで実際観てもとにかくキツイ映画なので生半可な気持ちでは観ないことをオススメする。
ユーモラスに描いてはいるけど、題材が題材なだけに描写は生々しい。
土着的で閉塞感のある港町の描写がさらにその苦しさを助長している。
もちろん人によると思うけど、けっこう気持ちが沈む。
その代わり僕らが普段、なんとなく目を背けてしまっている事柄について考えさせられるし、いつの間にか植え付けられていた価値観なんかが揺らぐ。
気持ちが沈むのは、僕らが普段見たくないものから目を背けていることの表れなんだと思う。
生活のためとはいえ、売春でなんとか生活しようとする「岬の兄妹」が行き着くのはどこなのか。
その過程で起きる兄妹の変化、そして僕たち観客にも起きるであろう(と思われる)価値観の変化に注目。
多くの映画が避けてきたであろう道を突き進んだ『岬の兄妹』は一見の価値ありだと思う。
体力、精神力削られるけど…
映画『岬の兄妹』の感想(ネタバレあり)
『岬の兄妹』3.0/10うんこ (10うんこ=クソ映画)
心にうんこ投げつけられたような映画
いきなりネタバレしてるけど、久しぶりに映画館を出るときに気持ちが沈んでしまった鬱映画だった。
すごく力強い映画なんだけど、僕にはそれを前向きな人間、生命の力強さとはどうしても捉えられなくてスクリーンを見続ける行為そのものが辛かった。
当初の予想より更にずっと心がヒリヒリしっぱなしで、精神的にグッタリしてしまった。
ただ、そうはいっても悪意あるものを観た時の鬱気分とは違う。
敢えて人の気持ちを逆撫でしようとするミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』なんかとは違う。
”岬の兄妹”に対する片山監督の愛は感じるし、僕らに植え付けられている価値観や倫理観、人間の幸せなんかを自然に考えさせらる。
だからこそ、真面目に捉えるからこそ、余計に兄妹が置かれている状況、そして兄、良夫の行動の稚拙さに目を背けたくなる。
実はそんな兄妹をものすごくユーモアたっぷりに描いているんだけど、それすらも僕には逆に痛々しく見えてしまって…
もうヒリヒリの負のスパイラルに陥ってしまっていた。
だけど好き嫌いは別として、この作品を今この時代に私財をなげうって制作した片山さんには敬意を表したい。
ほんとにすごい、特に保守的な日本映画界だから。
「何を思われてもいい、後ろ指さされてもいい、作りたいんだ」っていう姿勢がかっこいい。
こういう人が存在していることに対して少し明るい希望を感じてしまう。
むしろそう思われたいって計算でこの題材を選んでいたら、ほんと最悪だが…
映画『岬の兄妹』の世界でとにかく気になる社会福祉の存在
何を述べるにもまず、終始気になって気になってしょうがなかったのが、この映画の世界における福祉の存在だ。
母に先立たれ、足に障碍を持ち、自閉症の妹を抱え、職まで失ってしまうというどん底の環境に陥る良夫だけど、誰しもが社会福祉は何をしているんだと思わずにはいられないはず。
僕は普段そんな細かい設定は気にしないのが映画なんだと思っているけど、ここまでヒリヒリさせられたらさすがに気にならずにはいられない。
片山さんはインタビューで福祉を描くとそれについてしっかり描かないといけなくなって、焦点がずれてしまう的なことを言っているのだけど、絶対にそれは違うと思った。
兄妹の生きる力強さみたいなものを表現したかったとも言っているのだけど、であれば尚更この映画において福祉の存在は必須だったと思う。
福祉に頼れないという設定が存在しないと、それを超えて生き抜こうとする兄妹の力強さなんて表現できないと思う。
そもそも気になってちゃんと映画に入り込めない。
しかも良夫の唯一の友人、肇くんが警察官という無茶苦茶な設定。
絶対肇くんが福祉に取り合ってくれる、普通なら。
寓話として、娯楽映画として成立させるにしろ、ここまで社会的な問題を扱ってしまったら、そこは絶対避けられないものだったと思う。
別に福祉の人間を出さなくてもいいから、兄妹が既に世界に見捨てられてしまった存在なんだと観客にそれとなく感じさせる何かが必要だったと思う。
過去に揉めたことを匂わせたりする何かが。
良夫はめんどくさい男だから。
それだけでもっと多くの人がスッとこの映画に入り込めると思った。
映画『岬の兄妹』俳優の熱演と”障碍者を演じるということ”の是非
とにかく終始ヒリヒリな『岬の兄妹』だけど、そんな映画に仕上がったのも"岬の兄妹"を演じた松浦祐也と和田光沙の熱演あってだと思う。
2人ともけっこうインパクト大な見た目している。
はっきり言ってしまえば、全然美男美女ではない。
そこは今の邦画界を考えるとものすごく好感を持てるのだけど、それにしても今度は逆に生々しい存在感すぎて観るのが辛いという。
まあ和田さんはプライベートだと全然違う雰囲気なんでしょうけど、今作では知的障碍を伴う自閉症を見事に演じている。
見事とか言ったけど、そもそも僕はその点に関して勉強不足で、自閉症って知的障碍とは全く別だと思っていた。
だからコミュニケーションに障碍がある人を何となく想像していたのだけど、真理子は知的障碍を伴う自閉症ということで、もっと目を背けたくなってしまう描写になっていたと思う。
と褒め言葉のように書いたけど、2人ともうまいんだけど、どこか引っかかるというか、ビジュアルとか内容とかとは別の次元で違和感がずっとあった。
まずそもそもこの言い方もどうなんだろう。
”知的障碍者を見事に演じる、うまく演じる”
障碍を広く知ってもらうために良いことだって面も絶対あるけど、実際の障碍者の方の仕草などをトレースするのってやっぱり引っかかるのだ、僕は。
この映画の真理子もドキュメンタリー映画『ちづる』など実際の知的障碍者の方を参考にしているそう。
でも言ってしまえば知的障碍者の方のものまねなわけで、僕がその立場だったらそんなことされるのは嫌だ。
倫理観の問題というより、なんか気持ち悪くて。
多分和田さんがうまいからなんだろう。
うまいからこそ、うまく知的障碍者を演じているという、その行為が気持ち悪く感じられてしまった気がする。
そんなこと言ったらこの映画の存在自体を否定することにもつながるし、映画撮影という行為自体にも疑問が生まれてきそうだけど、今これを書いていてそう思わずにはいられなかった。
知的障碍者の本人、関係者はそこまで気にしてないかもしれないけど。
意外とこういう話って部外者が過剰に騒いでいるだけのことって多いから。
でもそう思ったら片山さんの心意気は尊敬するけど、なんとかこれを本当の知的障碍者の方で作れなかったかなあとか思ってしまう。
そっちのほうが不謹慎じゃねーかとか言われそうだけど、僕はその方があらゆる面でよっぽど健康的だと思う。
そもそも知的障碍そのものがテーマではないのだろうし、ドキュメンタリーじゃねえんだからとかって言われそうだけど、フィクションだって実写は全部ドキュメンタリーみたいなものだ。
実際にやってることに変わりはない。
片山さんはこの重い『岬の兄妹』を娯楽作として作ったらしいので、そんなに振り切った覚悟なのであれば、そこまでして欲しかったなあと今思った。
と今度は否定的な意見を書いてしまったけど、とはいえ松浦さんと和田さんは本当に凄まじかったと思う。
好きか嫌いかで言ったら二人共好きではないけど、それもこのキャラクターのせいだろう。
兄、良夫なんてとことんバカで、卑怯で、観ていて終始イライラさせられるが、パワーというか熱量みたいなものだけはすごく感じる。
松浦さんの顔の凄みだ。
終始圧力が強い。
暑苦しい。
肇くんに売春を咎められた時の開き直る、ものすごく卑しい殴りたくなる顔や、足が治り遊園地で遊ぶという夢の中での突き抜けた道化のような笑顔などインパクトある表情が印象的だった。
ちょっとオーバーだなと思える演技も多々あったけど、バカで卑怯で弱い良夫の人間臭さみたいなものはうまく表現されていたと思う。
絶対好きになれない人間だと思えたのも、誰しもがそういった目を背けたくなる、嫌悪感を抱くような良夫の要素を持っていて、それを松浦さんが見事に体現していたからなんだろう。
ま、最終的に僕は良夫は嫌いなんだけど。
知的障害者のものまねは気持ち悪いなんて書いたけど、和田さんも本当によくやったなあって思う。
なかなかこの役はできない、知的障害者を演じながら濡れ場も演じるなんて。
まともな神経でできる役ではない。
どういった気持ちで演じたのかは本人にしか分からないけど。
売れたい目立ちたいとかだけでやっていたら、こちらも最悪だが…。
映画『岬の兄妹』価値観の転換
この映画のすごいところは価値観の転換だ。
僕らは普段売春は犯罪行為、更にそれを障碍者にさせるなんてあり得ないと考えているし、この映画を観終わってもその気持ち自体に何ら変化はない。
でもそういったネガティブな行為がポジティブな意味を帯びることもあると、この映画は教えてくれる。
あくまでこの映画内の一部の意味において。
良夫は最初罪悪感、背徳感を感じながらも生きるために真理子に売春させる。
自分はほぼ何もせずお金が入ってきてしまうわけだから、良夫はその手軽さに負け売春を加速させる。
でもその良夫の背徳感とは裏腹に真理子はどんどん変化していく。
ある時チンピラに絡まれ、無理矢理行為中の真理子を見せつけられる良夫だったが、そこにいたのは自分の知らない真理子だったのだ。
そこまでの良夫がチンピラに絡まれる、いやーなシーンからも、無理矢理チンピラにやられてしまう真理子を想像してしまうが、むしろ真理子は積極的に笑顔でしているのだ。
それまで日中、良夫がいない間は陽の当たらない陰鬱な空気の家の中で足に鎖を付けて生活させられていた真理子は、”売春行為によって人間として解放される”。
真理子のお客さんには小人症でコンプレックスを抱える青年や妻に先立たれ寂しさを抱える老人などがいる。
彼らに求められることで真理子は自分の承認欲求を満たしていく。
もちろんそれだけでなく、性的快楽にもどんどん目覚めていく。
これは障碍者だって同じなわけだ。
良夫と同じように観客である我々もなんと捉えていいのか分からない複雑な展開だけど、売春という負の行為が真理子に生きる喜びを与えるのだ。
そしてその気持ちがどこまでの気持ちだったかまでは分からないが、真理子は小人症の青年に好意を持つ。
彼の家から帰りたくないと駄々をこねたり、自ら彼の家に行こうとしたり。
そんな中、真理子は誰の子かは不明ですが妊娠してしまう。
終始好きになれなかった良夫だけど、このときばかりは人間として、映画として熱いものを感じる。
小人症の青年の元に向かって、子供が出来たから真理子と結婚してくれないかと頼むのだ。
そこにはこれで真理子が嫁に行ってくれたら自分も少し楽になるという打算も少なからずあったと思う。
でも良夫を大きく突き動かしたのはやはり売春を通して気づかされた、考えさせられた真理子という1人の人間の幸せだ。
これまでは守るためとはいえ、真理子の足に鎖を付けてまるで自分のハンディキャップと同じような状態にして、真理子の気持ちというものには目を向けていなかった良夫もまた少し変化する。
まあでもそんなのどう考えても断られるわけで、青年のアパートから意気消沈して帰ろうとする良夫の前に現れた真理子が、青年の元に向かうと泣き叫ぶ姿は紛れもなく健常者となんら変わりない1人の人間の叫びで、強く惹きつけられた。
あの長時間に及ぶ泣き叫ぶシーンは、監督の想定を超えた和田さんのアドリブに近いものだそうで、カメラもガタつきながら長回ししており、目の前ですごいことが起こってる感が良かった。
映画『岬の兄妹』ドキッとするカメラワークとショット
僕はこの映画の内容自体はそこまで好きになれないんだけど、ショットという点においては時折ドキッとする凄まじい力を持っていたと思う。
冒頭の防波堤に佇む良夫のシルエットに近い引き画も素晴らしかったし、広い画の強さが印象的だった。
人間の身体的な運動性を重視して撮られていて、すごく好きだった。
主人公2人の顔が強すぎるので、バストショット以上に寄ったショットが多いとしつこすぎるというのもあったと思う。
内容との相乗効果でこちらが窒息しそうだから。
また真理子を探す良夫が家と家の間を通過するなんでもないシーンでドキッとさせられたりと、何気ないショットにも胸をざわつかせる何かがあった。
何なのかと聞かれたら分からない笑
でもさびれた港町の空気と海が映るショットはどれも印象的だった。
そして突然動き出すカメラのショットは特にざわついた。
終盤の良夫の顔から突如ぐいーんと動き出し家の周りを回り加速していくカメラはこの映画史上最高の1ショットだ。
この先の不安やら希望やら時の経過などあらゆるものを想起させられ、僕は鼓動が速くなったと同時にものすごく孤独感と不安を感じた。
こういう理屈じゃないショットが急に挟み込まれるのって良い。
あとはラスト、海岸で良夫が務めていた会社の社長と話す場面で急に砂浜を舐めるように引くカメラ。
これも何の意味があるのかは全然分からないけど、すごく気持ちがいい。
それでいいと思うのだ、意味はわからないけど気持ちいいショット。
それがあるだけで豊かな映画だと思う。
内容は別として。
映画史上に残るうんこバトル
夏休みの学校のプールで、中学生のグループに金を巻き上げられそうになる良夫が食らわせた、この映画の内容以上に重い一撃は衝撃的でだった。
思いついてもなかなか誰も本当にやろうとしない強烈な画だ。
中学生の顔に自分のうんこを手で擦り付けるという…
何がすごいってうんこが本当に臭そうで、顔に付けられた中学生が自分だったらと思うと吐き気を催すほどリアルな描写だったのだ。
でも展開的にも嘘くさいようで、どこか実戦的というか。
首締められ力が入って脱糞してしまい、それを利用して起死回生を図ったわけで、どこか爽快感もあるのだ。
もう一度観たいかと言われたら躊躇するけど、名シーンであることは間違いない。
是非ここだけでもたくさんの人にみてほしい。
最高のアクションシーンとして。
ラストシーン
真理子は子供を堕ろし、良夫は元々務めていた会社に戻る。
そして冒頭と同じように、いなくなってしまった真理子を探しながら肇くんに助けを求める良夫。
ほぼ全く同じカメラワーク、演技で撮影されているので、あれ?また最初に戻ったのかと思う。
冒頭よりアフレコ感が薄まったくらいしか違いが分からない。
つまり苦しい生活ではあるが売春生活を終え、映画冒頭と同じように日常を取り戻したような描写であるわけだ。
一見…
しかし海が間近に迫る崖で真理子を発見した良夫は、その今までとは明らかに別人のような表情を浮かべる真理子を観て衝撃をうけるのだった。
そして戸惑う良夫の携帯には着信が…
そんな観た人間に判断を委ねる系のラストとなっている。
まあなんだったのかは定かではないけど、やはり売春生活、妊娠を経て真理子は1人の人間として、女性として変化したのだと思う。
自我が目覚めたという表現とはちょっと違うけど、それに近い自立した気持ちが芽生えたのだと思う。
あの表情は良夫の手の届く範囲を超越してしまった真理子を表していたのではないかと。
それはもはや映画の冒頭のような家に閉じこもる日常には戻れない、抜け出すことができない売春生活を暗示しているようでゾワッとさせられる。
だがあの振り返った時の真理子の表情はこの映画一神秘的で美しかった。
おわりに
著名人のコメントで、「兄妹の絶望を超えて生きる強さを感じた」だとか、「不思議と陰鬱にならずに楽しく観れた」とか書いてあっけど、そんなのは嘘だ。
どう考えたって現実に兄妹の置かれた状況は、誰にとっても絶望以外のなにものでもないはず、綺麗事抜きに。
結果的な真理子の気持ちはともかく、良夫のしたことはどう考えても最悪だ。
自分では何も行動してないわけだから。
足の悪さを言い訳に何をするわけでもない。
妹に売春をさせる決意を固めた良夫の精神力を強さとするなら、そんなの美しくもなんともない。
僕らが普段タブーと感じてしまっている障碍者の性ということに対しての価値観だったり、生きる喜びという面で健常者となんら変わりないという点において、一石を投じる映画だったと思う。
でも絶望の中を生き抜く生命の強さとはどう考えても違うと思う。
強いのは真理子だけだ。
良夫は稚拙すぎる。
ウェットな感動なんて更に断固観たくないけど、良夫が生き抜くために自分の足で何か行動してくれないと、画面内で躍動してくれないと僕は生命の強さも感動もできない。
これでは『岬の女』だったと思う。
この兄妹にそこまでの愛おしさや、生命の強さを感じれた人は”映画との距離感を分かっている人”かもしくは、”圧倒的に人間としての共感力が欠如している能天気な人”だろう。
最後に、これを書いていて感じたのは、障碍者を特別視せずサラリとこの映画を世に送り出した片山さんの方が実は正常なんじゃないかということ。
この記事の中でも僕は障碍者、健常者とカテゴライズしてしまっている。
それは悪気とか悪意が決してあるわけじゃないけど、やはり無意識に同列に感じていないことの表れなんだと。
社会で生きていく以上どうしてもカテゴライズは必要になる時があるわけだけど、気持ち的にはいい意味でも悪い意味でもフラットに特別視しないことを、彼らは求めているんじゃないか、そんなことを考えさせられる映画だった。
でも、もう一度観るのは本当にキツイ…
おわり