現在、韓国を代表する映画監督といえば、
ポン・ジュノ(『パラサイト 半地下の家族』、『殺人の追憶』、『母なる証明』)
パク・チャヌク(『オールド・ボーイ』、『JSA』、『お嬢さん』)
そしておそらくもう1人が
イ・チャンドン(『オアシス』、『シークレット・サンシャイン』、『バーニング』)
ではないだろうか。
キム・ギドク!
という人もいるだろうけど、残念ながら亡くなっちゃいましたからねえ。
ビックリしたなあ。
一報を聞いた時は精神的な問題かと思ったけど、コロナということで、ほんと恐ろしいなあ…
で、話を戻すと、イ・チャンドンを国内外で一躍有名にした『ペパーミント・キャンディー』が村上春樹原作の『バーニング』公開を機にデジタル・リマスターでリバイバルされた。
『ペパーミント・キャンディー』はtsutayaの大きめの店舗だとレンタルがあるので、たしか『ポエトリー アグネスの詩』公開の際1度観たんだけど、その時一緒に観た『オアシス』、『シークレット・サンシャイン』のインパクトが強すぎてあんまり印象に残っていなかった。
時は流れ、今回改めてデジタル・リマスターで見直してみると、名作すぎてビックリしてしまった。
これイ・チャンドンの最高傑作じゃねーか。
そう思ったのでご紹介!
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『ペパーミント・キャンディー』とは??(まだネタバレなし)
1999年製作/130分/韓国・日本合作
原題:Peppermint Candy
配給:ツイン
日本初公開:2000年10月21日スタッフ
監督
イ・チャンドン
製作
ミョン・ゲナム 上田信
原作
イ・チャンドン
脚本
イ・チャンドン
撮影
キム・ヒョング
美術
パク・イルヒョン
編集
キム・ヒョン
音楽
イ・ジェジンキャスト
キム・ヨンホ/ソル・ギョング
スニム/ムン・ソリ
ホンジャ/キム・ヨジン解説
韓国現代史を背景に1人の男性の20年間を描き、韓国のアカデミー賞である大鐘賞映画祭で作品賞など主要5部門に輝いた人間ドラマ。「オアシス」「シークレット・サンシャイン」のイ・チャンドン監督が1999年に手がけた長編第2作。99年、春。仕事も家族も失い絶望の淵にいるキム・ヨンホは、旧友たちとのピクニックに場違いなスーツ姿で現れる。そこは、20年前に初恋の女性スニムと訪れた場所だった。線路の上に立ったヨンホが向かってくる電車に向かって「帰りたい!」と叫ぶと、彼の人生が巻き戻されていく。自ら崩壊させた妻ホンジャとの生活、惹かれ合いながらも結ばれなかったスニムへの愛、兵士として遭遇した光州事件。そしてヨンホの記憶の旅は、人生が最も美しく純粋だった20年前にたどり着く。2019年3月、イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」公開にあわせて、4Kレストア・デジタルリマスター版が日本初公開。
「ペパーミント・キャンディー』の監督やキャスト
『ペパーミント・キャンディー』の監督イ・チャンドンは教師から作家、そして映画監督なったという異色の経歴の持ち主。
2003年には盧武鉉政権第1期内閣の文化観光部長官に就任したりと、作品以外でも韓国文化に大きな影響を持っているようだ。
韓国国内の文学賞も受賞した作家だったと聞くと、セリフ多めのテレビドラマのようなものを撮る勘違い野郎なんじゃねーのかと先入観を持ってしまうが、逆にセリフ少なめな映画らしい映画を撮ってくれる、北野武のような成功例だと思う。
そもそも寡作な人なので撮った映画すべてが代表作だと言えるが、特に有名なのが『オアシス』と『シークレット・サンシャイン』。
『オアシス』は障碍者のラブストーリー、『シークレット・サンシャイン』は宗教への懐疑といった内容で、普通だとタブー扱いな、なかなか際どいところをついてくる。
更に文化観光部長官なんて聞くと、小難しそうなもの撮りそうだけど決してそんなことはない。
まあ『バーニング』は、村上春樹の原作が読者を煙に巻くような作品なので、デヴィッド・リンチみたいな映画になっていたが…
主演はこの『ペパーミント・キャンディー』の主演抜擢で一躍有名になったソル・ギョング。
カメレオン俳優と呼ばれているらしく、かなり幅広い役を演じている。
カメレオン俳優て何人いるんだよ、てその連発ぶりに突っ込みたくなるが、この『ペパーミント・キャンディー』を観るだけでも、珍しく納得したりする。
共演はムン・ソリ。
『オアシス』でもソル・ギョングと共に主演していて、障碍者役を印象的に演じている。
これがなかなか強烈な役なのだが、頑張りが報われてヴェネチア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(『ヒミズ』で染谷将太、二階堂ふみが獲得したやつ)を獲得している。
「ペパーミント・キャンディー』のあらすじ
あらすじはあんまり知らない方が楽しめると思うので、ほんと最初だけ。
1999年。
川沿いの鉄橋の下に横たわり、通過する列車を見つめながら涙を流すスーツ姿の1人の男。
ふらふらと川沿いを歩いていくと、そこにはピクニックを楽しむ、いけ好かないパーティーピーポーなグループがいる。
男は彼らに混ざり、歌を歌い踊りだす。
スーツ姿の何とも異様な男を不審に見ていたパーティーピーポーも、男がかつての自分たちの仲間だと気づき、男に近況を聞く。
だが突然怒り出した男は、再び歌い出したかと思うと1人、鉄橋に登りだした。
泣き叫ぶ男のもとに列車が近づく。
1人だけ優しい男だけが止めに来てくれたが、どんどん列車は近づいてくる。
「もう俺はだめだ、戻りたい、帰りたい」
そう泣き叫ぶ男に列車は容赦なく衝突しようとしていた…
なぜ男はそんなことになってしまったのだろうか…
みたいな話。
ここから先は知らない方が楽しめるんじゃないかなあ。
そう思うので書かないでおきます。
というか起承転結が難しい作品なので、どこまでが一般的なあらすじになるか分かりづらい。
「ペパーミント・キャンディー』のみどころ
誰しも人生の後悔って少なからずあると思うのです。
「ああ、あの時に戻れたら…」
「あの時は良かったなあ」
そんな現状が辛くて、過去を振り返ってタラレバばかり考えてる人が見たら、ほんとに死んじゃうんじゃないかという映画!
なんて力強く書いたけど、それはほんとに気分が落ちきった人を想像した時の話で、僕もそういったことは思うし後悔もあるけど、決して鬱映画ではない。
あらすじの通り、けっこう厳しい現実を描いた作品なのに、後味が悪くないのだ。
さすがに「元気が100倍出ました!ご飯もりもり食べちゃいます」というところまではいかないが、後海から人生を振り返るという普遍的な要素の中に、きっと心に響く何かがあるのだと思う。
タイトルの”ペパーミント・キャンディー"とは何なのか。
ちょっと人生に疲れた人にこそ、観てほしい映画だ。
と僕は思う…けど…
…鬱になったらごめんなさい。
『ペパーミント・キャンディー』のネタバレ解説&評価
『ペパーミント・キャンディー』1.0/10うんこ (10うんこ=クソ映画)
初恋のあの子をfacebookで検索したくなる映画
ものすごく心にズシッと響いた。
切なくて少し泣きたくなるのに、気分が落ちたりはしない。
むしろ僕は少し幸福感を抱いてるのかもしれない。
うまく整理できないけど、すごく不思議な気分だ。
とりあえず傑作であることは間違いない!
でもこれは人生の中で観るタイミングを選ぶ作品なのかもしれない。
僕も歳をとったということなんだろーなー。
「ペパーミント・キャンディー』は人間の変化の映画
『ペパーミント・キャンディー』は主人公キム・ヨンホの人生をその最後から、どんどんさかのぼっていって観ていく構成となっている。
悲痛な雄叫びをあげるヨンホの結末を先に知っているからこそ、そこにむかってヨンホが変化していった様子を思うと胸が苦しくなる。
あーこんなに経済的には成功していた人間だったのか
あーこの時も心から笑ってないんだろうなあ
あー奥さんとはこんなつかの間の幸福な時もあったのか
あーこんな純朴な時代があったのか
あーこんなに幸せな一瞬があったのか
そんなことを思いながら観ていると、本当に映画は”人間の変化”を描く最上のメディアだなあと感じる。
人間の変化って、客観的にはポジティブな変化であっても、親しい人間からするとなんか寂しいところがあると思う。
慣れ親しんだ人間性とは別のものになってしまう切なさは誰しも感じたことあるんじゃないかなあ。
そういう時は見た目も変化することが多い気がする。
僕も幼稚園からの親友が、高校生になって人間性や見た目がガラッと変わってしまった時の切なさ、物悲しさが忘れられない。
まあこれはただグレちゃっただけといえば、それまでなんだけど、そういった外に向けた小さな変化がやがて人間関係に大きな変化を及ぼす。
こういった様子を『ペパーミント・キャンディー』は本当に上手く表現していた。
ヨンホも元々は純朴そうな、工場勤めの優しそうな青年だった。
おそらくそんな活発な人間ではないのだろうが、仲間と歌を歌い、笑いあい、そしてスニムという女性に恋をする。
「名もない花を写真に撮ってまわりたい」
そうスニムに話すヨンホには幸せが溢れていて、とても95〜99年のヨンホからは考えられない。
そんなヨンホには兵役が迫っていて、それが光州事件の時期と被ってしまうのだ。
光州事件とは
発端は学生デモだが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加し、デモ参加者は約20万人にまで達した。だが大韓民国政府による徹底した武力に鎮圧された。
事件発生後、政府は報道規制をしき、市民虐殺の事実を隠した。
市民も武器をとったみたいだが、戒厳軍の圧倒的武力には敵わず、発表されているだけで市民150人が殺されたと言われている。だが実際のところは今も分かっていないらしい。
2017年に大ヒットした『タクシー運転手 約束は海を越えて』はこの事件を扱っている。
光州事件で女子高生を誤って射殺してしまったヨンホの人生は一変してしまう。
元々心優しかったであろうヨンホは、おそらく変わらなければ自我を保てなかったんだと思う。
工場には戻らず、これまでに人間関係を絶ち、警察官になる。
兵役の間ずっと、手紙と共にペパーミント・キャンディーを一粒ずつ送ってくれた、心の拠り所のスニムまで関係を絶った。
人を殺した、汚れた自分をスニムに見せたくない、花のようなスニムに自分はふさわしくない、自分だけ幸せにはなれない。
など複雑な気持ちが渦巻いていたのだと思う。
贖罪の気持ちが、正義の象徴である警察に向かったのかなあ。
その後警察に訪問してきたスニムをヨンホは追い返した。
明らかに人間が変わってしまったヨンホを観て、スニムは涙を流す。
これが2人が言葉を交わす最後の日になってしまう。
変わってしまったというよりは、変わったのだと必死に装うヨンホが本当に切ない。
「あー若い娘(後の妻となるホンジャ)のケツは確かに触りたいけど、頼む、ヨンホの手を握ってくれ」
ついそう祈ってしまう。
ここで後の妻となるホンジャの尻ではなく、スニムの手を握ることが出来ていたらヨンホの人生は違っていたかもしれない。
タラレバ話なんて虚しいだけだし、スニムと一緒になっても罪のない一般人を射殺した罪は、一生ヨンホを苦しめるわけだけど、少なくとも自分の本性を偽って生きることはなかったんじゃないかなあ。
その後のヨンホはずっと幸せそうじゃない。
幸せじゃないというより、心ここにあらずといった感じか。
結婚しても、子供が産まれても、会社が成功しても、ぽっかり心に穴が空いたヨンホは、"人間"を演じて生きているように見える。
いつしかスニムの事も心の奥底にしまい、何が大切で、何が幸せなのか分からなくなって、”ただ”生きている人生。
きっと歳を重ねるにつれ、横暴で横柄な人間になっていったのだろう。
何も大切にせず誰も愛せない男は、自ずと破滅の道を辿るのだ。
全てを失ってもまだ”人間じゃない”ヨンホは、絶望してなかったと思う。
だけど意識のないスニムに再会することで、心を取り戻したヨンホに現実が襲いかかる。
そしてスニムを思い、絶望の鉄橋へと向かっていく…
「うわーまるで自分を見ているようだ。」
ヨンホを見ていると、ちょこちょこそう思う瞬間がある。(流石に人は殺してないけどね)
容赦なく僕に鋭い刃を振り下ろしてくるのに、それを上回る何かが心にあって、不思議と絶望には落ちないのだ。
何なのかハッキリは分からないけど、きっとスニムと目線を交わし微笑みあうヨンホの幸福な時間が本当に輝いて見えるからなんだろうなあ。
こういう瞬間が一瞬でもあるから"人生は美しい"と、心のどこかで思うんだろうなあ。
なんて恥ずかしいことを思ったり。
でも僕はこういう”絶望の中に見えた何よりも尊いものが愛だった”みたいな話に弱い気がする。
「ああ、本当は愛とか信じたいんだろうなあ、俺…」
暗闇の中、孤独にそう思うのだ。
「ペパーミント・キャンディー』列車で始まり列車で終わる映画
列車で始まり、列車で終わるこの映画。
映画が始まり、暗闇から遠くに見えてくるトンネルの出口。
この気持ちのいい導入を見てもまだ気づくことは何もないが、ヨンホが列車に轢かれる瞬間、列車が持つ意味に気づく。
冒頭と同じような列車からの風景が映し出されたかと思いきや、何かが変だ。
花びらが物理法則に逆らい、一箇所に集結していくのだ。
そこでそれが巻き戻しの映像だと気づく。
列車はヨンホの命を奪う道具であると同時に、時空を超えることの視覚的モチーフだったのだ。
ヨンホの人生の転機は列車沿い、線路沿いで起きている。
スニムとの思い出の場所も、女子高生を誤射してしまうのも、スニムと最後の言葉を交わすのも、追っていた犯人を捕まえるところも、フィルムを見て絶望するところも、全ての線路沿いであり、列車が通っている。
その時点なら、まだ違う道があったことを示しているかのように。
あの時足を撃たれながらも、もう少し頑張って線路さえ越えられていたら。
列車に乗るスニムの手を握っていたら。
”人生は美しい”という言葉を信じて、犯人を護送せず、スニムの故郷にもう少し残っていたら。
そう行動していたら、なにか違う未来になっていたはずなのに。
でも現実はそれが出来ないことを観客は分かっている。
二度とあの幸福な瞬間には戻れないと。
だからこそこの映画は自分の人生と重ね合わせ、よりグッとくるのだと思う。
「ペパーミント・キャンディー』の特殊な過去回想形式
『ペパーミント・キャンディー』は韓国とNHKの共同制作らしい。
そういや『バーニング』もNHKで放送して劇場版公開していたし、イ・チャンドンと蜜月な関係みたいだ。
あんなに国民から金集めて韓国映画に出資してんのかよ、とつい思ってしまう。
だったらまず日本映画に金バンバンだせよ、なんてことも。
まあそれがなかったらイ・チャンドンの映画が観れないと思うと複雑だ。
ていう話は余談で、本題にいくと『ペパーミント・キャンディー』と同じようにNHKが制作した8K映画『スパイの妻』で黒沢清監督がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。
黒沢監督は度々
「映画は現在形のメディア。次にどうなるかというサスペンスが総てであって、”実はこういう理由があったんです”なんて過去を語る回想形式は映画をつまらなくする」
といった主旨のことを語っている。
「なるほどなー」
と思っていたのだが、どうも総てが総てそういうわけではないなと『ペパーミント・キャンディー』を観て思った。
たしかに殺人犯の動機に繋がる生い立ちを回想で語るなどというのはひどくつまらない。
だが『ペパーミント・キャンディー』はありそうでなかなかない非常に特殊な過去回想映画だ。
たしかに過去回想なのだが、その時間軸は過去に一直線といえる。
現在に過去が差し込まれるのではなく、現在形の映画のベクトルがまるごと過去に向かったような映画なのだ。
まあ各エピソードはもちろん巻き戻って語られるわけではないのだけど、映画1本では過去が未来のような映画だ。
ヨンホがこの後(時間軸的には過去)どんな人間として我々に前に現れるのだろうかというサスペンスであふれている。
だから退屈しないんだなーと、今これを自分で書いて納得している。
なぜラストショットでヨンホは涙を流したのか
1979年、河原でスニムと語り合い、仲間たちと歌を歌っていたヨンホは1人その場を離れ、鉄橋の下で横になり列車を見つめながら涙して映画は終わる。
なぜ幸福な時代にヨンホは泣いたのだろうか。
僕はこの涙を見るまで、『ペパーミント・キャンディー』は列車に轢かれる瞬間にヨンホが観た走馬灯のようなものだと思って観ていた。
だがラストの涙を見て、列車に轢かれる瞬間に、ヨンホの強い後悔が本当に時を巻き戻したのではないかと思った。
映画だからこそ可能な荒業でヨンホは人生で一番幸せな刻まで戻れたのだろうと。
一度未来を知ったからこそ、深い絶望を噛み締めた場所で、今度は幸せを噛み締めて泣いたのだと。
んー、だけどそうだとすると僕が感じた涙の重みや幸せだった時の輝きや尊さが失われるような気もする。
時代や世界に翻弄されてしまった人間を映画だからできる荒業で救うのもすごく意義深い。
でも僕はやはり走馬灯を見たヨンホが、自らの人生の節目節目を振り返り、何が大切なものだったのか、それを思い出し、幸せを噛み締めて、死を受け入れたのだと思いたくなった。
こんな残酷な死に方、人生になってしまったが、そんな自分にも本当に大切で幸せな瞬間が一瞬でもあったのだと。
「忘れてしまっていたが、人生は美しかったんだ」
そう、走馬灯の中でヨンホは思い涙を流した。
うん、その方が今の僕にはスッキリする気がする。
描きすぎないから良い
20年の歳月を描いているので尺の問題ももちろんあるが、『ペパーミント・キャンディー』は細かく描き過ぎていないところが本当にうまいなあと思った。
特にヨンホとスニムの関係は、この映画の芯なのでもっと描いてもいいはず。
だがあえてそれを抑えたことによって、各エピソード間の出来事を観客は想像する余地がうまれた。
2人の関係がどこまでだったのかをはっきり明示しないことで、より幸福な時間の輝きが強調されている。
タイトルの"ペパーミント・キャンディー"の持つ意味合いもより強くなったと思う。
やっぱり映画は説明しないことが重要だなあと改めて思わされる映画だ。
「ペパーミント・キャンディー』主演ソル・ギョング
「世の中にカメレオン俳優って何人いるんだよ」と揶揄したが、ソル・ギョングは本当にすごかった。
主人公ヨンホを演じるには20代〜40代までをやらなければならない。
イ・チャンドンはオーディションでこの難役を決めようとしたが、ピンとくる人間がいなくて、結局紹介された、当時まだそこまで有名じゃなかったソル・ギョングを起用したそうだ。
結局僕らが見ているのは、俳優の外見だ。
時代が変わると、ヨンホの外見をパッと見ただけで明らかに違いが分かる。
これはすごいことだと思う。
特に徴兵のシーンは、初め誰だか分からないほど、その後のヨンホと表情が変化していて驚いた。
まあ元々ちょっと老け顔ぽいので1979年の河原のシーンは
あれ、ちょっと老けてんな
と思ってしまったが、内面の穏やかさ、柔らかさは十分に伝わった。
おわりに
『ペパーミント・キャンディー』は一度見終わると、かなりの確率でもう一度観たくなるんじゃないだろうか。
1979年の幸せなヨンホをとスニムを観たあとで、もう一度ヨンホの人生を見直してみると、また違う発見や感想が出てきて面白いと思う。
民主化に揺れる激動の韓国は、光州事件のような大きな事件だけでなく、警察内など閉ざされた場所でも暴力にあふれていたのだと思う。
そんな社会に抵抗感を持っていた穏やかな男が、それこそ暴力の権化のような男になっていき身を滅ぼす様は、見応えがあると同時に虚しくなる。
違う時代に生まれていたら
なんて考えるのは意味ないことだし、たかが映画の中のことなのに、ヨンホの幸せを考えてしまっている自分がいる。
これって傑作の証拠なんじゃないかな…
おわり